0223仁木村古城 [岡崎の城をめぐる]
岡崎市仁木町。
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岡崎北部に仁木町、細川町がある。それぞれ、仁木氏、細川氏の発祥の地だ。
承久の乱の功績で源氏の足利義氏が三河国守護に任じられると一門の実国が仁木に、弟義季が隣接する細川に移り住み、それぞれの氏祖となっている。
室町幕府草創には、これらの足利一門が活躍した。三河武士は二度天下を握ったとも言われる所以である。
ただ、その後、仁木氏は振るわなくなってしまった。
三河のこの地にどのくらい土着していたのか、よくわからない。今では居館地があったと伝えられるだけだ。
右の丘の端に仁木八満宮、その神社の裏あたりが古城があったそうだ。左手にはMMC教育センターの白い建物が見える。寮だろうか。これらの建物ができる時に、少し地形もいじられたかもしれないが、矢作川近くの段丘で、居館には適地だったことだろう。
仁木八満宮に上がると、堀のような区切りがあり、その奥が削平されていて神社が鎮座し、勝手に居館を思い描いてしまう。多分、神社造成でこうなったのだろうが、いかにもという雰囲気で好きだ。
ちなみに、仁木氏庶流に榊原氏があり、その一族から後に徳川四天王と数えられ、上野国館林藩主になる、榊原小平太康政が現れた。
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岡崎北部に仁木町、細川町がある。それぞれ、仁木氏、細川氏の発祥の地だ。
承久の乱の功績で源氏の足利義氏が三河国守護に任じられると一門の実国が仁木に、弟義季が隣接する細川に移り住み、それぞれの氏祖となっている。
室町幕府草創には、これらの足利一門が活躍した。三河武士は二度天下を握ったとも言われる所以である。
ただ、その後、仁木氏は振るわなくなってしまった。
三河のこの地にどのくらい土着していたのか、よくわからない。今では居館地があったと伝えられるだけだ。
右の丘の端に仁木八満宮、その神社の裏あたりが古城があったそうだ。左手にはMMC教育センターの白い建物が見える。寮だろうか。これらの建物ができる時に、少し地形もいじられたかもしれないが、矢作川近くの段丘で、居館には適地だったことだろう。
仁木八満宮に上がると、堀のような区切りがあり、その奥が削平されていて神社が鎮座し、勝手に居館を思い描いてしまう。多分、神社造成でこうなったのだろうが、いかにもという雰囲気で好きだ。
ちなみに、仁木氏庶流に榊原氏があり、その一族から後に徳川四天王と数えられ、上野国館林藩主になる、榊原小平太康政が現れた。
2014-11-20 05:00
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