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0242岡崎城 [岡崎の城をめぐる]

岡崎市康生町。


より大きな地図で 岡崎の城 を表示

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徳川家康が生まれた町、康生町に岡崎城はある。今では岡崎公園になっている。

家康公にまつわるものも多い。

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こちらの銅像は昭和40(1965)年家康没後350年祭を記念に建てられた。
(ちなみに実際には家康公の没年は1616年。)

天守の西、二の丸には産湯の井戸もある。

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そしてえな塚もある。もとは本丸の南にあったものを現在地に移動させたそうだ。

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そんな家康公ゆかりの史跡も楽しいが、岡崎城は竜頭山という台地突端に守護代西郷稠頼築が享徳元(1452)年に築いた城がはじまり。その中世城の雰囲気を残しつつ近世岡崎城がある。

西郷稠頼は青海入道と称すことになるが、青海堀と呼ばれる空堀が本丸北にある。深さ約7m、片面は石垣が組まれている。円弧が美しい。

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また本丸南下は風呂谷曲輪と呼ばれ、古い石垣も見られる。

水堀が円を描くように囲む。

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これは東隅櫓下の切通しだが、こんな曲線の石垣が多く見られ、自然地形を生かした中世城から、石垣で強固に固められた近世城へ修築された様子が随所にみられる。

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そして、その切通しの上に再建された東隅櫓。

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国道1号線沿い岡崎公園の入口という場所には、近世岡崎城の大手門が復元されている。実際は、ここより北東200mほどの浄瑠璃寺の南にあったそうだ。

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現在の岡崎城は岡崎公園内にとどめられているが、実は城域はかなり広く、市街地に名残が見られる。

平成19(2007)年マンション建設に伴う材木町での発掘調査で、絵図通りの位置に石垣が見つかり、話題になった。

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更にその周囲を囲むと言われる総堀があった。

岡崎城の北門、足助街道の起点にあたる信濃門の跡碑が能見通り入口に建っている。

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観光地としての岡崎城だけではなく、中世城の面白さ、近世城としての巨大さを味わっていただけると嬉しい。

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