0370ぼっち飯
ぼっち飯、そんな言葉があることを知った。なるほど、ひとりぼっちで食べる食事のことか、おもしろい言い方だなと思ったが、ちょっと驚いたことは、否定的に捉えているニュアンスだ。
そのニュースの特集では、ひとりっきりになるのを嫌う若者の風潮を捉え、ぼっち飯は避けたいと思って悩んでいる姿を追っていた。
自分なんかとはずいぶん違うものである。仕事中である昼食などは、せめてひとりっきりで落ち着きたいと思う。食事にはさほどこだわらないが、ひとりっきりの落ち着いた時間がとれてこそ、休憩ができた、そんな気さえする。そういう意味では、食事は取ったが、休憩は取ってない、そんな日々だ。
ひとりになりたい。よくそう思う。仕事の時は、致し方ないだろう。それでも、ぽつんとひとりきりで地道に作業するような仕事が好きで、体調が悪く気分が落ち込むような時はそんな作業をコツコツやっている方が、どんなに楽かと思ってしまう。が大抵は対人関係に揉まれ、人をどうやって動かしていくかを腐心している。
仕事を離れたらで、またまた、いろいろなしがらみがあって、おいそれとはひとりになれない。
もちろん、そういう時間だって大切で、別に嫌っているわけじゃない。
ただたまにはいいじゃないか、と言われながら、結果それぞれの人と毎週毎週飲みに出歩くようなことは避けたいなと思う。当然のことと思うが、それはこちらからの言い分で、相手からすれば、たまに声を掛けたのに冷たいな、となってしまう。
友達は少ないほうだろうなと思っている。けど、頼りになる、いつも話のできるそんな友達に囲まれてきた。ありがたいことだ。
そんな面々のお陰で、ひとりぼっちが怖いとか、仲間と群れたい、そんなことは思ったことがなかった。
もっと友達を持ちたい、というのは単なる欲張りの言葉で、もっと本が欲しいと言うのと同じ、結局本があってももうこれ以上そうは楽しめないのである。ほどほどにしておけ、ということだろう。
ひとりの時間を充実させてこその交流だと思う。
ぼっち飯いいじゃないか。
GWには、ひとりっきりで城めぐりに出たいと思っている。ロングドライブで、車中泊で、もくもくとひとりっきりで城めぐりをする。
その向こうには、撮った画像をUPしたいtwitterがあったり、ブログがあったりするのだろう。それは、ひとりぼっちなのか、仲間がいるということなのか、よくわからないが、ひとりで過ごす時間には違いない。
ああ、早く、ひとりっきりになりたい。
そのニュースの特集では、ひとりっきりになるのを嫌う若者の風潮を捉え、ぼっち飯は避けたいと思って悩んでいる姿を追っていた。
自分なんかとはずいぶん違うものである。仕事中である昼食などは、せめてひとりっきりで落ち着きたいと思う。食事にはさほどこだわらないが、ひとりっきりの落ち着いた時間がとれてこそ、休憩ができた、そんな気さえする。そういう意味では、食事は取ったが、休憩は取ってない、そんな日々だ。
ひとりになりたい。よくそう思う。仕事の時は、致し方ないだろう。それでも、ぽつんとひとりきりで地道に作業するような仕事が好きで、体調が悪く気分が落ち込むような時はそんな作業をコツコツやっている方が、どんなに楽かと思ってしまう。が大抵は対人関係に揉まれ、人をどうやって動かしていくかを腐心している。
仕事を離れたらで、またまた、いろいろなしがらみがあって、おいそれとはひとりになれない。
もちろん、そういう時間だって大切で、別に嫌っているわけじゃない。
ただたまにはいいじゃないか、と言われながら、結果それぞれの人と毎週毎週飲みに出歩くようなことは避けたいなと思う。当然のことと思うが、それはこちらからの言い分で、相手からすれば、たまに声を掛けたのに冷たいな、となってしまう。
友達は少ないほうだろうなと思っている。けど、頼りになる、いつも話のできるそんな友達に囲まれてきた。ありがたいことだ。
そんな面々のお陰で、ひとりぼっちが怖いとか、仲間と群れたい、そんなことは思ったことがなかった。
もっと友達を持ちたい、というのは単なる欲張りの言葉で、もっと本が欲しいと言うのと同じ、結局本があってももうこれ以上そうは楽しめないのである。ほどほどにしておけ、ということだろう。
ひとりの時間を充実させてこその交流だと思う。
ぼっち飯いいじゃないか。
GWには、ひとりっきりで城めぐりに出たいと思っている。ロングドライブで、車中泊で、もくもくとひとりっきりで城めぐりをする。
その向こうには、撮った画像をUPしたいtwitterがあったり、ブログがあったりするのだろう。それは、ひとりぼっちなのか、仲間がいるということなのか、よくわからないが、ひとりで過ごす時間には違いない。
ああ、早く、ひとりっきりになりたい。
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