0497茨木城(大阪府) [城印象記]
大阪府茨木市片桐町の茨木城を紹介します。
茨木市街の中心にあります。車の駐車は厳しそうです。
今回、城仲間の案内で、オフ会で茨木城をはじめとした茨城の城をまわらさせていただきました。真夏の暑い中、皆でサイクリングです。
「城をしのばせるものはほとんど残っていない」と言われる茨木城ですが、随所に、遺構・碑・名残があり、丁寧に案内をしてもらいながら、薀蓄を傾け合ったり、想像を語り合ったりして、楽しかったです。
一般には、茨木小学校が中心地と言われ、櫓門が復元されています。
こちらまでは、以前訪城した時にも撮ったのですが、今回は小学校の内も入らさせていただきました。
よく書籍など見る茨木城碑です。今回、初めて本物を目にしました。櫓門の裏にあったんですね。小学校内に入らないと撮影はできない位置です。
今日は地域の盆踊りでもあるのでしょうか。校庭には、そんな舞台が準備されていました。
そんな校庭をわたって反対側には、もうひとつの城址碑があります。これも、内でないと撮れません。レアな碑をカメラに収めて満足です。
小学校が本丸とも言われますが、正確にはやや北よりで、校庭でははずれかもしれません。こちらが推定地と言われるあたりです。
しかし、それも推定によるところが多く、正確にはわかりかねるのでしょう。
現代の本丸です。
そんな冗談を言いながら、ワイワイガヤガヤと移動します。異様なおっさん軍団です。
今では目にすることはできませんが、茨木城は内堀と外堀があり、総構の様相を呈していました。そんな昔をしのび、暗渠となってしまった溝の跡を追い、堀を想定したりしました。
例えば、この色の変わったあたりの下に暗渠があり、内堀の南のあたりではないか、と説明してもらいました。地図と見比べながら、一同にんまり。
復元案も複数出されており、きちんと学術的に決定するのは大変でしょうが、無責任にワイワイやるには、楽しいことです。空想が膨らみます。
城域は南北に長く、西には茨木川が流れていましたが、今では埋め立てられ緑地公園になっています。ここが堀の役目を果たしていたことは間違いありませんが、ここも空想で補う他ありません。
その北の方には「佐介樋跡」と記された碑があります。このあたりに古田織部が住んでいたそうです。茨木城主中川清秀の妹せんと結婚した頃でしょうか。
南端まで下ると、武者だまりといわれる兵升があります。大坂口という南の出入り口になります。茨木高校の前あたりです。ちょっと変わった異様な空間ですが、どれくらいの人が茨木城遺構と感じてくれているのでしょうか。
併せてレンタルで借りた自転車の画像も貼っておきます。一日200円でした。これは嬉しいサービスですね。
そんなレアなマニアな茨木城めぐりでした。が、最後は割と有名な茨木神社東門の茨木城搦手移築門です。これは裏から撮影したものです。
高さがあります。高麗門のようですが、裏には控え柱も見られます。本来は四脚門だったのでしょうか。
見応えのある門ですね。
茨木市街の中心にあります。車の駐車は厳しそうです。
今回、城仲間の案内で、オフ会で茨木城をはじめとした茨城の城をまわらさせていただきました。真夏の暑い中、皆でサイクリングです。
「城をしのばせるものはほとんど残っていない」と言われる茨木城ですが、随所に、遺構・碑・名残があり、丁寧に案内をしてもらいながら、薀蓄を傾け合ったり、想像を語り合ったりして、楽しかったです。
一般には、茨木小学校が中心地と言われ、櫓門が復元されています。
こちらまでは、以前訪城した時にも撮ったのですが、今回は小学校の内も入らさせていただきました。
よく書籍など見る茨木城碑です。今回、初めて本物を目にしました。櫓門の裏にあったんですね。小学校内に入らないと撮影はできない位置です。
今日は地域の盆踊りでもあるのでしょうか。校庭には、そんな舞台が準備されていました。
そんな校庭をわたって反対側には、もうひとつの城址碑があります。これも、内でないと撮れません。レアな碑をカメラに収めて満足です。
小学校が本丸とも言われますが、正確にはやや北よりで、校庭でははずれかもしれません。こちらが推定地と言われるあたりです。
しかし、それも推定によるところが多く、正確にはわかりかねるのでしょう。
現代の本丸です。
そんな冗談を言いながら、ワイワイガヤガヤと移動します。異様なおっさん軍団です。
今では目にすることはできませんが、茨木城は内堀と外堀があり、総構の様相を呈していました。そんな昔をしのび、暗渠となってしまった溝の跡を追い、堀を想定したりしました。
例えば、この色の変わったあたりの下に暗渠があり、内堀の南のあたりではないか、と説明してもらいました。地図と見比べながら、一同にんまり。
復元案も複数出されており、きちんと学術的に決定するのは大変でしょうが、無責任にワイワイやるには、楽しいことです。空想が膨らみます。
城域は南北に長く、西には茨木川が流れていましたが、今では埋め立てられ緑地公園になっています。ここが堀の役目を果たしていたことは間違いありませんが、ここも空想で補う他ありません。
その北の方には「佐介樋跡」と記された碑があります。このあたりに古田織部が住んでいたそうです。茨木城主中川清秀の妹せんと結婚した頃でしょうか。
南端まで下ると、武者だまりといわれる兵升があります。大坂口という南の出入り口になります。茨木高校の前あたりです。ちょっと変わった異様な空間ですが、どれくらいの人が茨木城遺構と感じてくれているのでしょうか。
併せてレンタルで借りた自転車の画像も貼っておきます。一日200円でした。これは嬉しいサービスですね。
そんなレアなマニアな茨木城めぐりでした。が、最後は割と有名な茨木神社東門の茨木城搦手移築門です。これは裏から撮影したものです。
高さがあります。高麗門のようですが、裏には控え柱も見られます。本来は四脚門だったのでしょうか。
見応えのある門ですね。
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