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0501三宅城(大阪府) [城印象記]

大阪府茨木市蔵垣内3丁目の三宅城を紹介します。



公園の隅に城址碑と説明板があります。

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   三宅城跡

 三宅城は、丑寅二丁目・蔵垣内三丁目におよぶ小字「城之内」のあたりで、永正1年(1504)に三宅出羽守國政が築き、永正から大永・享禄・天文・弘治を経て、永禄5年(1562)までの58年間続いたとされています。
 三宅氏の系図をみると、右京守政明・伊賀守清明・出羽守國政・美濃守國広・出羽守國村の名前があげられています。
 その頃の城の範囲はほぼ東西596メートル・南北540メートルと推定されており、このなかのやや高まった場所に本丸があったといわれ、かなり立派なものだったと思われますが、くわしくは、わかっていません。
 しかし小字名に「堀田」「蓮池」「大名寺池」と呼ばれる地名などがあり、この城のことを知る手がかりになっています。

   茨木市教育委員会

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遺構らしいものはこれといってありません。今では辺りは住宅地、こうして公園に碑があるだけでも、昔が偲べていいものです。

実はこの三宅城、他にも城址碑があります。

今回は茨木の城仲間にレアな城址碑も案内してもらいました。



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丸っこい城址碑と説明板があります。

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   三宅城址

 戦国時代、この付近に三宅出羽之守國政が永正1年(1504年)に築いた「三宅城」がありました。
 天文16年(1547年)、時の管領職細川晴元は総勢力を投入し、2月25日に三宅城を包囲しました。戦況不利とみた三宅國村は、3月晦日に降伏し、城を明け渡しました。
 その頃の城の広さは、東西576メートル・南北540メートルで、この中の小高い所に、南北270メートル・東西180メートルの本丸があったと推定されております。また中世の城で重要な防御施設である逆茂木を設置、大手・二の木戸を構えていたことが文献に記されています。
 その後、香西元成が城主となりましたが、三好長慶との争いに破れ、三宅城は永禄5年(1562年)に消滅してしまいました。

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ここはギリギリ摂津市域になるようですから、三宅城は何も茨木市だけのものではないということで碑を置いたのでしょうか。

あと、こんな碑も案内していただきました。



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城址碑ではないですが、「三宅出羽守國村公碑」です。

最後の城主となった三宅國村の451年祭を記して建てられたものです。ご子孫の方たちなのでしょうか。蔵の前に立派な碑が建っています。3か所の城址碑からは少し離れた南の位置になります。

さて、もっともレアなと思われる城址碑です。ここ三宅城も再訪なのですが、この碑は知りませんでした。私としては、最大のヒットポイントだったかな。



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ええ!と思うフェンスの向うでした。

しかし、あきらめずに撮ってきましたよ。わりときれいに収めることができて満足しています。

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   三宅城阯

 三宅城は、茨木市丑寅二丁目から蔵垣内三丁目におよぶ小字「城之内」のあたりで、永正1年(1504)に三宅出羽守國政が築き、永正から大永・享禄・天文・弘治を経て、永禄5年(1562)までの58年間続いたとされています。
 後柏原・後奈良・正親町天皇の頃、戦国時代の室町後期にあたります。
 三宅氏の系図をみると、右京守政明・伊賀守清明・出羽守國政・美濃守國広・出羽守國村の名前があげられています。
 ありし日の三宅城は、ほぼ東西596メートル、南北540メートル、広さ403ヘクタールの城域が推定され、このなかのやや高まった場所に本丸があったといわれ、かなり立派なものだったと思われます。

  (注)

 この石碑は本丸阯と思われるところに昭和18年12月大阪府にて建碑されたが私有地の関係で点々と場所を変え阪急沿線内に移りましたが、調査した結果、当社の地が「城之内」の南一角に存することから関係機関承諾のもと、平成5年9月に移設し、永く保存します。

   東罐興業株式会社

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最初に紹介した茨木市教育委員会の文章に近いものだが、この文章に手を加えたものだろう。

三宅城の位置はしっかりわかるようで、はっきりしないというのが結論でしょうか。まぁ、それもよしと個人的には思っています。

近くの、といっても市をまたいで摂津市になりますが、摂津市子育て総合支援センターエンゼルの前一角には、最後の城主三宅國村の長女康阿比丘尼らが非難し防風庵という草庵を建てた跡もありました。

色々とこまかく案内いただき、楽しいサイクリングでした。

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