0659川瀬城(三重県) [城印象記]
三重県南牟婁郡御浜町川瀬の川瀬城を紹介します。
国道311号線、風伝トンネルの近くになります。風伝トンネルを下り抜けた最初を右折して少ししたところの左手に石碑があります。
不覚にもこの城のことは全く知りませんでした。立派な石碑ばかりで案内や説明はありません。しかし、川瀬城址としたその上に赤い矢印があります。この方向に城がある、ということでしょう。
碑に向かって左手に山を確認、さっそくスマホの地図ロイドでも地形を確かめます。山はさほど高くないようです。探索してみることにしました。
(右折した角に近いところに余白地があります。車はここに停めました。)
碑のある山すそから登る道があります。薮っててひるみますが、入口あたりを突破すれば、そんなにはひどい薮ではありません。
いきなり見えたのは竪堀でしょうか。テンションが上がります。これは間違いなく山城でしょう。
少し行くと削平地が見えます。曲輪ですね。
なかなかいいねと思い始めたその時、曲輪の先に回り込んで驚きました。立派な石垣です。
しかも、それだけではありません。その石垣にまっすぐぶつかるように石塁があって、さながら登り石垣のようです。変わった構造の石垣です。
すっかり興奮してしまいました。山の南尾根になります。
その時は大発見した気でいました。わざわざ寄ってよかった、あの立派な石垣はダテじゃない、そんなふうに思って写真を撮ったり、周辺を歩いたりします。
けど、本当にそうなのか、だんだん気持ちが揺らぎます。
この角度から見た時、あれれと思いました。やっぱり、こんな狭いところに細かく段を作る必要はありません。私は、お墓の跡地かなと思いました。立派な石垣・石塁は山との壁や境で、後ろをキレイにしたのでしょう。
トータル的に見ても、ここだけ突出して石垣遺構がある根拠がありません。後世のものでしょう。
それは畑の跡地なのでは、とTwitterではアドバイスをいただきましたが、そうかもしれませんね。お騒がせしました。
気を取り直して、まずは頂上、主郭を目指します。主郭にたどり着かないと、どうも偏って見てしまう、そんな気がします。
南からは、削平地を2段登りました。それぞれ曲輪と思われます。
主郭直下の曲輪です。この少しくぼんだところは、堀切が埋もれたのでは、と解釈しましたが、如何ですかね。
主郭です。シダが生えていてすっきりはしていませんが、なんとか歩ける範囲です。少し広めの楕円の削平地になっています。
注意してみると、周りは低い土塁で囲まれているようです。
そして縁を確認してみると石が見られ、土留めのような補強目的で石垣も使われたのかなと思われました。
(逆に言うと、主郭でこの程度の石垣しか見られないのに、南の山裾にそんな立派な石垣遺構があるのは不自然ですよね。)
西から北は薮が激しいです。そして、西は斜面が厳しく遺構は見られないようです。
北に降りたところは堀切のように感じました。
北から西にまわりこんで山を下りましたが、この北西方面が降りやすかったです。
遺構が見事とかそんな感じではありませんでしたが、小さいながらも主郭(頂上)付近は確固たる城遺構を感じることが出来ました。いい拾いものをしたなと思っています。
国道311号線、風伝トンネルの近くになります。風伝トンネルを下り抜けた最初を右折して少ししたところの左手に石碑があります。
不覚にもこの城のことは全く知りませんでした。立派な石碑ばかりで案内や説明はありません。しかし、川瀬城址としたその上に赤い矢印があります。この方向に城がある、ということでしょう。
碑に向かって左手に山を確認、さっそくスマホの地図ロイドでも地形を確かめます。山はさほど高くないようです。探索してみることにしました。
(右折した角に近いところに余白地があります。車はここに停めました。)
碑のある山すそから登る道があります。薮っててひるみますが、入口あたりを突破すれば、そんなにはひどい薮ではありません。
いきなり見えたのは竪堀でしょうか。テンションが上がります。これは間違いなく山城でしょう。
少し行くと削平地が見えます。曲輪ですね。
なかなかいいねと思い始めたその時、曲輪の先に回り込んで驚きました。立派な石垣です。
しかも、それだけではありません。その石垣にまっすぐぶつかるように石塁があって、さながら登り石垣のようです。変わった構造の石垣です。
すっかり興奮してしまいました。山の南尾根になります。
その時は大発見した気でいました。わざわざ寄ってよかった、あの立派な石垣はダテじゃない、そんなふうに思って写真を撮ったり、周辺を歩いたりします。
けど、本当にそうなのか、だんだん気持ちが揺らぎます。
この角度から見た時、あれれと思いました。やっぱり、こんな狭いところに細かく段を作る必要はありません。私は、お墓の跡地かなと思いました。立派な石垣・石塁は山との壁や境で、後ろをキレイにしたのでしょう。
トータル的に見ても、ここだけ突出して石垣遺構がある根拠がありません。後世のものでしょう。
それは畑の跡地なのでは、とTwitterではアドバイスをいただきましたが、そうかもしれませんね。お騒がせしました。
気を取り直して、まずは頂上、主郭を目指します。主郭にたどり着かないと、どうも偏って見てしまう、そんな気がします。
南からは、削平地を2段登りました。それぞれ曲輪と思われます。
主郭直下の曲輪です。この少しくぼんだところは、堀切が埋もれたのでは、と解釈しましたが、如何ですかね。
主郭です。シダが生えていてすっきりはしていませんが、なんとか歩ける範囲です。少し広めの楕円の削平地になっています。
注意してみると、周りは低い土塁で囲まれているようです。
そして縁を確認してみると石が見られ、土留めのような補強目的で石垣も使われたのかなと思われました。
(逆に言うと、主郭でこの程度の石垣しか見られないのに、南の山裾にそんな立派な石垣遺構があるのは不自然ですよね。)
西から北は薮が激しいです。そして、西は斜面が厳しく遺構は見られないようです。
北に降りたところは堀切のように感じました。
北から西にまわりこんで山を下りましたが、この北西方面が降りやすかったです。
遺構が見事とかそんな感じではありませんでしたが、小さいながらも主郭(頂上)付近は確固たる城遺構を感じることが出来ました。いい拾いものをしたなと思っています。
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