0687藤橋城(東京都) [城印象記]
東京都青梅市藤橋の藤橋城を紹介します。
すっかり公園化されていました。南側の道路を通った時は、駐車できそうもないし、これというところもなかろうと素通りしそうなほどでした。
公園の南に入口がありますが、昔の藤橋城もこの方面が入口だったそうで、空堀や曲輪もあったそうです。どうやら、道路と住宅で一部遺構は失われてしまったようです。
車の停め場所を求めて公園の北西あたりに回り込みます。この方面は田んぼです。余談ですが、富士山の頭が見えました。東京青梅から見えるんですね。車は、整備された農道の余白地に停めることができました。
背後から眺めると高さがあり、旧態を感じることが出来ます。
しかし、公園化されてるとはいえ、土塁がめぐっている様子がわかります。のんびり散策するのもいいものです。
入口付近には青梅市による説明板があります。
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現存する遺構は、東西70メートル×南北60メートルの曲輪と付属する腰曲輪、土塁、空堀等であり旧態をとどめている。
『武蔵名勝図会』(文政3年・1820)に、次のように記されている。「平山越前守虎吉という人の住居の地なり。この平山氏は北条氏照に仕えたる人なり。平山右衛門大夫・同伊賀守などは檜原村に城跡あり。又、平井村・大久野村あたりは平山氏が旧跡なれば、この越前守もその一族なるべし。ここは土居を廻らし、城跡もありて、その内の広さ東西二十間余、南北凡そ五十間程、入口の城戸門跡と覚しきところは南向きにて、すべて平地なり。西より北に廻らして今井村の水田に臨み、霞川の流れを帯びたり。この辺は崖にして高さ二丈あまりなり」。
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北側の土塁の下には、帯曲輪が感じられます。
北西角には、櫓台のような土の高まりもあります。それを意識させる植込みでしょうか。
ていねいに見るとよくわかります。縄張りが判ってくると、城としての楽しみも感じられます。素通りしなくてよかったです。
すっかり公園化されていました。南側の道路を通った時は、駐車できそうもないし、これというところもなかろうと素通りしそうなほどでした。
公園の南に入口がありますが、昔の藤橋城もこの方面が入口だったそうで、空堀や曲輪もあったそうです。どうやら、道路と住宅で一部遺構は失われてしまったようです。
車の停め場所を求めて公園の北西あたりに回り込みます。この方面は田んぼです。余談ですが、富士山の頭が見えました。東京青梅から見えるんですね。車は、整備された農道の余白地に停めることができました。
背後から眺めると高さがあり、旧態を感じることが出来ます。
しかし、公園化されてるとはいえ、土塁がめぐっている様子がわかります。のんびり散策するのもいいものです。
入口付近には青梅市による説明板があります。
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現存する遺構は、東西70メートル×南北60メートルの曲輪と付属する腰曲輪、土塁、空堀等であり旧態をとどめている。
『武蔵名勝図会』(文政3年・1820)に、次のように記されている。「平山越前守虎吉という人の住居の地なり。この平山氏は北条氏照に仕えたる人なり。平山右衛門大夫・同伊賀守などは檜原村に城跡あり。又、平井村・大久野村あたりは平山氏が旧跡なれば、この越前守もその一族なるべし。ここは土居を廻らし、城跡もありて、その内の広さ東西二十間余、南北凡そ五十間程、入口の城戸門跡と覚しきところは南向きにて、すべて平地なり。西より北に廻らして今井村の水田に臨み、霞川の流れを帯びたり。この辺は崖にして高さ二丈あまりなり」。
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北側の土塁の下には、帯曲輪が感じられます。
北西角には、櫓台のような土の高まりもあります。それを意識させる植込みでしょうか。
ていねいに見るとよくわかります。縄張りが判ってくると、城としての楽しみも感じられます。素通りしなくてよかったです。
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