0689今井城(東京都) [城印象記]
東京都青梅市今井の今井城を紹介します。
着く前はどんな城か今ひとつイメージがわかない城でした。住宅地の空白地にある公園のように整備された土の城、ってどんな城なんだろう。
が、予想を越えるいい雰囲気で遺構が残されていました。簡素なつくりですが空堀で区切られた曲輪がよくわかります。お勧めです。
城へは、どこからでも入れますが、私は西北角から入りました。住宅地の端、道路のゆき止まりからです。
ここには説明板があります。
市史跡今井城跡
今井氏数代の居館と伝えるこの今井城跡は、面積およそ八千五百平方メートルの、二郭からなる単純な連郭式の城跡である。東半分は西地両側に深い空堀と三方を土塁に囲まれた曲輪であるが西半分は土塁のない曲輪である。
昭和四十二年の春と夏の二度にわたって青梅市教育委員会は発掘調査を行った。その結果、正和元年(1312)から大永二年(1522)にかけての板碑や開元通宝等が発見され、また、遺構の保存が良好であることが判明し、小規模ながら中世城郭としてきわめて貴重な遺構であることが明らかとなった。
昭和二十八年十一月三日指定 青梅市教育委員会
------------------------------------------------------------
少し進むと空堀です。西の二郭を囲むものです。本格的な遺構にテンションが上がります。
堀を渡って二郭からの空堀です。なるほど、確かに二郭には土塁はありません。
二郭を横断して南側に回ってみました。空堀と土塁の形状が複雑になっています。何となく大手口を想定しました。
その先の遺構はありません。民家がすぐそこまできています。ただ落差はあります。
いったんお城を出て南側を歩いてみました。城の地が、小高い丘にあることはわかりますが、しかし、こんな遺構のあるお城があるなんて思われませんね。公園というようでもなく不思議なものです。
さて再び城に戻ります。今度は北側に回りこみます。
北西は原っぱのような空地です。城域とは関係ないようです。
その原っぱサイドから主郭を臨むところです。二郭と三郭が突き出し、その間を空堀がくねるように走っています。こういう構造美といっていいような遺構には萌えますね。
そしていよいよ主郭です。方形居館をイメージしていましたが、ずいぶん細長く楕円の曲輪を感じました。地形に合わせて造形されたのでしょうか。その点では比高はさほどないものの山城っぽさを充分感じます。
そして二郭と違って土塁があります。低くなっていましたが、紛れもない遺構です。
最初は主郭のみの居城だったのが、あとから曲輪を付け足したのかも知れないと考えたりしました。
主郭の北東方面の堀が一番深いようでした。
その向こうに三郭があります。
帯曲輪っぽくもあるようですし、もう城外と言えなくもないようです。けど、北西の原っぱよりは人の手が入った感じはします。
それにしても公園っぽさは何もなくて、ただキレイに土の城がいい感じに残っていて、嬉しい散策でした。
着く前はどんな城か今ひとつイメージがわかない城でした。住宅地の空白地にある公園のように整備された土の城、ってどんな城なんだろう。
が、予想を越えるいい雰囲気で遺構が残されていました。簡素なつくりですが空堀で区切られた曲輪がよくわかります。お勧めです。
城へは、どこからでも入れますが、私は西北角から入りました。住宅地の端、道路のゆき止まりからです。
ここには説明板があります。
市史跡今井城跡
今井氏数代の居館と伝えるこの今井城跡は、面積およそ八千五百平方メートルの、二郭からなる単純な連郭式の城跡である。東半分は西地両側に深い空堀と三方を土塁に囲まれた曲輪であるが西半分は土塁のない曲輪である。
昭和四十二年の春と夏の二度にわたって青梅市教育委員会は発掘調査を行った。その結果、正和元年(1312)から大永二年(1522)にかけての板碑や開元通宝等が発見され、また、遺構の保存が良好であることが判明し、小規模ながら中世城郭としてきわめて貴重な遺構であることが明らかとなった。
昭和二十八年十一月三日指定 青梅市教育委員会
------------------------------------------------------------
少し進むと空堀です。西の二郭を囲むものです。本格的な遺構にテンションが上がります。
堀を渡って二郭からの空堀です。なるほど、確かに二郭には土塁はありません。
二郭を横断して南側に回ってみました。空堀と土塁の形状が複雑になっています。何となく大手口を想定しました。
その先の遺構はありません。民家がすぐそこまできています。ただ落差はあります。
いったんお城を出て南側を歩いてみました。城の地が、小高い丘にあることはわかりますが、しかし、こんな遺構のあるお城があるなんて思われませんね。公園というようでもなく不思議なものです。
さて再び城に戻ります。今度は北側に回りこみます。
北西は原っぱのような空地です。城域とは関係ないようです。
その原っぱサイドから主郭を臨むところです。二郭と三郭が突き出し、その間を空堀がくねるように走っています。こういう構造美といっていいような遺構には萌えますね。
そしていよいよ主郭です。方形居館をイメージしていましたが、ずいぶん細長く楕円の曲輪を感じました。地形に合わせて造形されたのでしょうか。その点では比高はさほどないものの山城っぽさを充分感じます。
そして二郭と違って土塁があります。低くなっていましたが、紛れもない遺構です。
最初は主郭のみの居城だったのが、あとから曲輪を付け足したのかも知れないと考えたりしました。
主郭の北東方面の堀が一番深いようでした。
その向こうに三郭があります。
帯曲輪っぽくもあるようですし、もう城外と言えなくもないようです。けど、北西の原っぱよりは人の手が入った感じはします。
それにしても公園っぽさは何もなくて、ただキレイに土の城がいい感じに残っていて、嬉しい散策でした。
コメント 0