0721須崎台場(高知県) [城印象記]
高知県須崎市中町2丁目の須崎台場を紹介します。
西浜歴史公園がその台場、砲台跡になります。わかりやすいと思いますが、周辺は道路が狭いので気を付けてください。
説明がありました。
土佐藩砲台跡
昭和19年11月国の史跡指定
幕末、異国船の来航があり、海岸防備のため藩命により文久3年(1863)7月に着工し1ヶ月半の短時日に完成した。
須崎には西、中、東の3ヶ所に台場が築かれたが、そのうち現存するのはこの西台場のみである。規模が最大で長さ116m、砲台7座、内側に弾薬室が7ヶ所あったが、明治初年埋められた。この砲台跡は明治40年、須崎町が払下げをうけ、公園として保存してきた。当時使用して砲弾が残っている。
慶応3年(1867)8月6日、イギリス水夫殺害事件で公使パークスは土佐藩と交渉するため軍艦(バジリスク号)で須崎港に入港し、幕府艦(回天丸)や坂本龍馬も来港して外国交渉の舞台となった。
平成10年3月20日
須崎市教育委員会
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桜旅のドライブで、今回はお城はなしのつもりでしたが、台場なら手軽に寄れるだろうと思って行きましたが、これが、なかなか良かったです。
半円状に石垣に固められた土塊が伸びます。その上に砲座と思われる高まりが認められます。
要塞の感じがよくわかります。
なんと言っても、この石垣の感じがいいです。角が丸い石ですが、整然と組まれています。
それから、砲座部分の石垣はまた少し違っていて、石が大きくなっていたり、また切り込みハギで作られていたものもありました。
そして土の厚みも見たりしました。
いつまでも見ていたいくらいいい台場でした。これを上手くカメラに収められないのが残念です。
いつまでも見飽きないというと、こちらもそうですね。
公園のすぐ南には線路があって、それを越えると浜に出ます。須崎湾ということでしょう。静かに波が寄せていました。
西浜歴史公園がその台場、砲台跡になります。わかりやすいと思いますが、周辺は道路が狭いので気を付けてください。
説明がありました。
土佐藩砲台跡
昭和19年11月国の史跡指定
幕末、異国船の来航があり、海岸防備のため藩命により文久3年(1863)7月に着工し1ヶ月半の短時日に完成した。
須崎には西、中、東の3ヶ所に台場が築かれたが、そのうち現存するのはこの西台場のみである。規模が最大で長さ116m、砲台7座、内側に弾薬室が7ヶ所あったが、明治初年埋められた。この砲台跡は明治40年、須崎町が払下げをうけ、公園として保存してきた。当時使用して砲弾が残っている。
慶応3年(1867)8月6日、イギリス水夫殺害事件で公使パークスは土佐藩と交渉するため軍艦(バジリスク号)で須崎港に入港し、幕府艦(回天丸)や坂本龍馬も来港して外国交渉の舞台となった。
平成10年3月20日
須崎市教育委員会
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桜旅のドライブで、今回はお城はなしのつもりでしたが、台場なら手軽に寄れるだろうと思って行きましたが、これが、なかなか良かったです。
半円状に石垣に固められた土塊が伸びます。その上に砲座と思われる高まりが認められます。
要塞の感じがよくわかります。
なんと言っても、この石垣の感じがいいです。角が丸い石ですが、整然と組まれています。
それから、砲座部分の石垣はまた少し違っていて、石が大きくなっていたり、また切り込みハギで作られていたものもありました。
そして土の厚みも見たりしました。
いつまでも見ていたいくらいいい台場でした。これを上手くカメラに収められないのが残念です。
いつまでも見飽きないというと、こちらもそうですね。
公園のすぐ南には線路があって、それを越えると浜に出ます。須崎湾ということでしょう。静かに波が寄せていました。
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