0791高崎台場(兵庫県)その2 [城印象記]
昨日の続きになります。いよいよ高崎台場です。
途中の砂州は護岸工事がされてて道が確保されていましたが、先端部は島のようになっています。右手前に石垣があります。思わず石垣に取りつくように回り込み角を越えます。
いい石垣ですね。
白っぽい石垣で、独特のカーブを描いています。
先端島部の内海側は低い石垣が続いていました。
こんな船着き場を思わせる石垣もありました。
そして先端にまで足をのばします。低い石垣から、白い石垣に変わる角です。
今川口の陸地側から見えていた石垣です。近くでみると迫力があります。
端までいくと護岸工事されたコンクリートの壁も見えます。接続部は、石垣を継ぎ足したのか少し調子の違う石垣になっているのがわかります。
コンクリートにしてもそうですが、下はゆるやかな角度で上は垂直な壁のようになっていますが、これは波に対応しているのでしょう。
先端島部の先端に近い高い部分に灯台があります。ここに行く道がほぼ中央を通っています。実はこの灯台下には近代の要塞跡らしき遺構がみられます。
全体には薮がきつくて、中はなかなか動きがとれません。なんとか先端部に出てきて、先ほどの石垣を上からも撮ってみました。ここから落ちたら事故ですね。
決死な思いをして撮ったのですが、あまりいい出来栄えではないです。下から仰ぎ見る石垣の方がいいです。
中央部の道を抜けて先端島部の基部に戻ってきました。その抜け出たところです。左の赤い箱(ゴミ)があるところにも抜け道のようなところがあります。その薮をかき分けるように進むと先端島部の外海側に出ました。
海は内側と違って波は荒く、思いのほか近くに島が見えます。友ヶ島の島々なのでしょう。
また同じような高さで白い石垣が見えます。
角まで来ました。更に奥に続いています。長さの残存具合といい、このあたりは素晴らしいです。
この隅の角の部分はいいですね。
もう感動しまくりです。折から晴れ間も見え、もう最高です。
なんと端まで来ると、その向こうにも石垣が見えます。
結局、石垣が見えてくると、その手前はコンクリートの護岸でした。
その向こうにもコンクリートの護岸となる訳ですが、このコンクリートの護岸が、先端島部の先端の先ほど見たものになり、ほぼ一周外側を回ったことになります。
一部コンクリート護岸が入るといっても、長さはかなりのものです。
かつては先端島部をぐるりと石垣で固めていたようで、想像するとぞくぞくします。
歩きにくい石の上を歩きながら、ひとりにやけてきました。
波に洗われるせいかキレイな遺構を見せている石垣が多いですが、こんなふうに残念な具合になっている部分もありました。草木に覆われたり、スキマにコンクリートを詰められたり。
また石垣には刻印らしきものもいくつか見られました。幕府の指示により徳島藩が築造した台場ですが、なにか作業で必要だったのでしょうか。その意味などは、私にはわかりませんでしたが。
いつまでも見とれていたい石垣でしたが、船の時刻もあります。気が付くと次第に潮の満ちてきているのもわかりました。
急がなくては。
素晴らしい石垣でした。是非ともお勧めしたい台場です。
石垣には海のあとらしき筋がありました。本来ならば、潮が満ちていて、充分観賞できない位置の石垣なのがよくわかります。
実は、海パンとサンダルも用意していました。膝くらいなら、いざとなったら海に浸かって見てこようと思ってましたが、その必要もありませんでした。
ただ外側の海は波もあって、安易に海に入るのは危なそうです。
干潮のタイミングを見計らってチャレンジしてみてください。
島が白い石垣で囲まれた要塞になっている高崎台場でした。
途中の砂州は護岸工事がされてて道が確保されていましたが、先端部は島のようになっています。右手前に石垣があります。思わず石垣に取りつくように回り込み角を越えます。
いい石垣ですね。
白っぽい石垣で、独特のカーブを描いています。
先端島部の内海側は低い石垣が続いていました。
こんな船着き場を思わせる石垣もありました。
そして先端にまで足をのばします。低い石垣から、白い石垣に変わる角です。
今川口の陸地側から見えていた石垣です。近くでみると迫力があります。
端までいくと護岸工事されたコンクリートの壁も見えます。接続部は、石垣を継ぎ足したのか少し調子の違う石垣になっているのがわかります。
コンクリートにしてもそうですが、下はゆるやかな角度で上は垂直な壁のようになっていますが、これは波に対応しているのでしょう。
先端島部の先端に近い高い部分に灯台があります。ここに行く道がほぼ中央を通っています。実はこの灯台下には近代の要塞跡らしき遺構がみられます。
全体には薮がきつくて、中はなかなか動きがとれません。なんとか先端部に出てきて、先ほどの石垣を上からも撮ってみました。ここから落ちたら事故ですね。
決死な思いをして撮ったのですが、あまりいい出来栄えではないです。下から仰ぎ見る石垣の方がいいです。
中央部の道を抜けて先端島部の基部に戻ってきました。その抜け出たところです。左の赤い箱(ゴミ)があるところにも抜け道のようなところがあります。その薮をかき分けるように進むと先端島部の外海側に出ました。
海は内側と違って波は荒く、思いのほか近くに島が見えます。友ヶ島の島々なのでしょう。
また同じような高さで白い石垣が見えます。
角まで来ました。更に奥に続いています。長さの残存具合といい、このあたりは素晴らしいです。
この隅の角の部分はいいですね。
もう感動しまくりです。折から晴れ間も見え、もう最高です。
なんと端まで来ると、その向こうにも石垣が見えます。
結局、石垣が見えてくると、その手前はコンクリートの護岸でした。
その向こうにもコンクリートの護岸となる訳ですが、このコンクリートの護岸が、先端島部の先端の先ほど見たものになり、ほぼ一周外側を回ったことになります。
一部コンクリート護岸が入るといっても、長さはかなりのものです。
かつては先端島部をぐるりと石垣で固めていたようで、想像するとぞくぞくします。
歩きにくい石の上を歩きながら、ひとりにやけてきました。
波に洗われるせいかキレイな遺構を見せている石垣が多いですが、こんなふうに残念な具合になっている部分もありました。草木に覆われたり、スキマにコンクリートを詰められたり。
また石垣には刻印らしきものもいくつか見られました。幕府の指示により徳島藩が築造した台場ですが、なにか作業で必要だったのでしょうか。その意味などは、私にはわかりませんでしたが。
いつまでも見とれていたい石垣でしたが、船の時刻もあります。気が付くと次第に潮の満ちてきているのもわかりました。
急がなくては。
素晴らしい石垣でした。是非ともお勧めしたい台場です。
石垣には海のあとらしき筋がありました。本来ならば、潮が満ちていて、充分観賞できない位置の石垣なのがよくわかります。
実は、海パンとサンダルも用意していました。膝くらいなら、いざとなったら海に浸かって見てこようと思ってましたが、その必要もありませんでした。
ただ外側の海は波もあって、安易に海に入るのは危なそうです。
干潮のタイミングを見計らってチャレンジしてみてください。
島が白い石垣で囲まれた要塞になっている高崎台場でした。
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