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0839真禅院三重塔(重文) [和塔]

岐阜へ出掛けてきた。和塔めぐりである。

城と思えば、実にのんびりしたもので、場所に迷うこともないし、藪や虫に悩まされることもないので助かる。このところ体調も思わしくないので、いいリハビリというところだろうか。



西濃地方、垂井町宮代の真禅院に三重塔がある。江戸時代の和塔で重要文化財になっている。

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三重塔前が開け、ちょうどいい具合に撮れてよかった。

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 国重要文化財 真禅院三重塔(建造物)
  昭和52年6月27日指定
  所有・管理者 真禅院

 この三重塔は、天平13年(741年)辛已歳の草創で、関ヶ原合戦により焼失したが、徳川三代将軍家光により造営の運びとなり、寛永19年(1642年)9月に再建された。その後明治初年の神仏習合廃止(神仏分離令)により南宮社執行真禅院秀覚法印が三重塔を含む22堂塔を統廃合し、村人の絶大な奉仕によって明治4年(1871年)3月までに南宮社から現在の地へ移した。
 構造は三間三重塔、本瓦葺で柱礎石上端より相輪頂上までの全高は25.38m。内部に大日如来を安置する。
 この塔は、永年の風雪と荷重により全体に西方へ傾斜していた上に、昭和56年の豪雪で屋根に損章を受けたため、文化庁等の指導を受けて昭和57年7月から昭和60年3月までの三十三ヶ月を要し、総事業費1億2300万余りを費やして全面解体修理を行った。

  垂井町教育委員会 真禅院朝倉山奉賛会

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全面解体修理を行ったそうだ。この点では木造建築は柔軟に対応が効くらしく、他でもそんな話はよく聞く。いたんだ様子や塔の傾きはなかったが、塔は古めかしい感じはあった。

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朱塗りされているが、そこに新しさが感じられないからだろうなと思う。

細かく装飾も入っている。江戸初期、日光の堂宇と同じ頃と思えば、田舎の質素の建造物ということになるのだろうか。

南宮社から明治初期に移動させたそうだが、丘の先のいい位置にある。

均整の良さに、しばし見とれて楽しむ。

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