0901長野城(福岡県) [城印象記]
福岡県北九州市小倉南区長野の長野城を紹介します。
畝状竪堀にびっしり囲まれた魅力的な山城です。
慎重にポイントしたつもりだが、細かい等高線が地図にないのでアバウトになってしまいました。マッピングした国土地理院地図の画像も貼ります。
「+」が目指す長野城主郭になります。数値でいえば「33.808945,130.910779」というあたりでしょうか。標高は235mです。
林道がすぐ下を通っています。
車は矢印のあたりまでです。車止めがあります。ここから比高でいえば約200m、30分ほどの道のりでした。すぐ下の林道へは一本道です。
車じゃ厳しそうな道ですが、歩くならずいぶん助かる楽な道でした。
何か案内があるかなと注意していましたが、何もないようです。それでも、蛇行した林道が自動車道トンネルの上に差し掛かるのが何となくわかると思います。
林道右手が城の山裾になり、畝状竪堀がわかるとも聞きましたが、はっきりわかりませんでした。
何かあるかと思って進んだため、もう長野城を離れてしまうところまで回り込んでしまいました。しかし、隅からしっかり見ていこうと思う方にはお勧めポイントです。主郭へも早いようです
こんなあたりから山へ突入します。
堀切を越して、尾根道を進み、主郭です。
が、それより目を惹くのは、やはり畝状竪堀です。異様なほどの数で、斜面びっしりと竪堀が見られます。
まさかこんなにいう程の畝状竪堀が書かれた縄張図を見る長野城ですが、やはりそれは本当で、少しも誇張でない現実を目にして大興奮でした。
真夏でしたが、草が苦になるほどではなく、見やすかったです。
しかし、写真は上手く撮れないですね。山城の遺構の素晴らしさが充分伝わるか心配です。
縄張図と遺構を照らし合わせながら見ていくのですが、こうした作業を重ねながら、城の構造がよりリアルに、ダイナミックに、わかったと思う瞬間はゾクゾクしますね。
こちらは主郭の櫓台(奥)と土塁です。
竪堀群を右手に見ながら段曲輪を下ります。
下り切ったその先の少し小高い丘が2郭になります。
この周辺の遺構がまた複雑でワクワクします。敵の前線になる訳ですから、敵を翻弄するような意図もあるのでしょうか。
登った2郭です。狭い削平地です。
その後は竪堀に沿うような形で山を下りました。林道にでます。
比高200mというと、険しい山城を想像しますが、林道の位置から言えば、たいした比高はありません。その当時には林道なんてないでしょうが、意外と攻めやすい斜面だったのでは、と思ってしまいます。
が、そのことが、この異様な竪堀群への普請と繋がったのではないでしょうか。
またこの山の土が加工しやすかったのかな、とも考えてみました。
林道を歩くと、別のピークの下に来たようです。疲れていて、戸惑いもあったのですが、突入して登っていくとそこは出丸でした。
曲輪、切岸の連続で登っていきます。
ちょっと違った長野城の一面が見れます。
出丸背後は堀切でした。
しっかりと山城の面白さを味わえた長野城でした。
畝状竪堀にびっしり囲まれた魅力的な山城です。
慎重にポイントしたつもりだが、細かい等高線が地図にないのでアバウトになってしまいました。マッピングした国土地理院地図の画像も貼ります。
「+」が目指す長野城主郭になります。数値でいえば「33.808945,130.910779」というあたりでしょうか。標高は235mです。
林道がすぐ下を通っています。
車は矢印のあたりまでです。車止めがあります。ここから比高でいえば約200m、30分ほどの道のりでした。すぐ下の林道へは一本道です。
車じゃ厳しそうな道ですが、歩くならずいぶん助かる楽な道でした。
何か案内があるかなと注意していましたが、何もないようです。それでも、蛇行した林道が自動車道トンネルの上に差し掛かるのが何となくわかると思います。
林道右手が城の山裾になり、畝状竪堀がわかるとも聞きましたが、はっきりわかりませんでした。
何かあるかと思って進んだため、もう長野城を離れてしまうところまで回り込んでしまいました。しかし、隅からしっかり見ていこうと思う方にはお勧めポイントです。主郭へも早いようです
こんなあたりから山へ突入します。
堀切を越して、尾根道を進み、主郭です。
が、それより目を惹くのは、やはり畝状竪堀です。異様なほどの数で、斜面びっしりと竪堀が見られます。
まさかこんなにいう程の畝状竪堀が書かれた縄張図を見る長野城ですが、やはりそれは本当で、少しも誇張でない現実を目にして大興奮でした。
真夏でしたが、草が苦になるほどではなく、見やすかったです。
しかし、写真は上手く撮れないですね。山城の遺構の素晴らしさが充分伝わるか心配です。
縄張図と遺構を照らし合わせながら見ていくのですが、こうした作業を重ねながら、城の構造がよりリアルに、ダイナミックに、わかったと思う瞬間はゾクゾクしますね。
こちらは主郭の櫓台(奥)と土塁です。
竪堀群を右手に見ながら段曲輪を下ります。
下り切ったその先の少し小高い丘が2郭になります。
この周辺の遺構がまた複雑でワクワクします。敵の前線になる訳ですから、敵を翻弄するような意図もあるのでしょうか。
登った2郭です。狭い削平地です。
その後は竪堀に沿うような形で山を下りました。林道にでます。
比高200mというと、険しい山城を想像しますが、林道の位置から言えば、たいした比高はありません。その当時には林道なんてないでしょうが、意外と攻めやすい斜面だったのでは、と思ってしまいます。
が、そのことが、この異様な竪堀群への普請と繋がったのではないでしょうか。
またこの山の土が加工しやすかったのかな、とも考えてみました。
林道を歩くと、別のピークの下に来たようです。疲れていて、戸惑いもあったのですが、突入して登っていくとそこは出丸でした。
曲輪、切岸の連続で登っていきます。
ちょっと違った長野城の一面が見れます。
出丸背後は堀切でした。
しっかりと山城の面白さを味わえた長野城でした。
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