0944久下田城(茨城県) [城印象記]
茨城県筑西市樋口字城山の久下田城を紹介します。
雨が降ってきてしまいました。しかし、主郭が公園で、大きな空堀が残り、主郭まで車で行きつけれる城がある、ということで急遽訪れてみました。それが久下田城です。久下田駅から近くになります。
通りから入った道は細く、本当に大丈夫かと思われるような道です。一本道でそのまま橋を渡って主郭までたどり着きますが、気を付けてください。
南が台地続きで、台地の突端に築いた城です。
通ってきた道の周囲は農地になっていますが、かつての二の郭三の郭になるのでしょう。
そして、橋のあるあたりは大手口で、土橋があったかもしれません。はっきりと読み切れませんが、虎口を形成していたことは間違いないでしょう。
天文14(1545)年に下館城主水谷正村(蟠竜斎)が宇都宮氏の防御としてこの地に城を築きました。宇都宮氏を撃退した記録もあるようです。
主郭はけっこう広く、規模がそれなりにありました。
しかし公園とは言い難いほどの荒れ具合です。
城址碑がありました。
櫓台址かなと思わせる土塊もありました。もっとも、四阿風の休憩所らしきものが残されているので、公園整備の折にいじられたものかもしれません。
絵図もありました。
近くを流れる五行川がかつては北から東岸へ流れ、城の守りに利用されていたのでしょう。
というか、水城といっていいほど水に囲まれています。これは、ちょっと想像しづらい絵図です。この周囲は立派な空堀に囲まれていますが、それが水堀だったと言うのでしょうか。
周囲の空堀へと足を運びます。
まず、主郭のまわりには土塁が確認されます。
(というか、絵図から読み取るにここは二の郭なのか。)
土塁の向こうには空堀です。橋の入口あたりの空堀は小さいのですが、北に回り込むほど深い大きい堀になっていて見応えあります。ほぼ一周曲輪を巻いています。
最初は戸惑ってたものの傘を片手に薮に突入してみました。反対の曲輪から空堀越しに主郭を見てみましたが、これはいい堀ですね。
五行川河岸段丘上の城として、水を利用して、守られていたというのはわからなくもないですが、どうでしょう。
公園どころか、今は薮に埋もれかけた久下田城ですが、ちょっといい遺構が見られました。
雨が降ってきてしまいました。しかし、主郭が公園で、大きな空堀が残り、主郭まで車で行きつけれる城がある、ということで急遽訪れてみました。それが久下田城です。久下田駅から近くになります。
通りから入った道は細く、本当に大丈夫かと思われるような道です。一本道でそのまま橋を渡って主郭までたどり着きますが、気を付けてください。
南が台地続きで、台地の突端に築いた城です。
通ってきた道の周囲は農地になっていますが、かつての二の郭三の郭になるのでしょう。
そして、橋のあるあたりは大手口で、土橋があったかもしれません。はっきりと読み切れませんが、虎口を形成していたことは間違いないでしょう。
天文14(1545)年に下館城主水谷正村(蟠竜斎)が宇都宮氏の防御としてこの地に城を築きました。宇都宮氏を撃退した記録もあるようです。
主郭はけっこう広く、規模がそれなりにありました。
しかし公園とは言い難いほどの荒れ具合です。
城址碑がありました。
櫓台址かなと思わせる土塊もありました。もっとも、四阿風の休憩所らしきものが残されているので、公園整備の折にいじられたものかもしれません。
絵図もありました。
近くを流れる五行川がかつては北から東岸へ流れ、城の守りに利用されていたのでしょう。
というか、水城といっていいほど水に囲まれています。これは、ちょっと想像しづらい絵図です。この周囲は立派な空堀に囲まれていますが、それが水堀だったと言うのでしょうか。
周囲の空堀へと足を運びます。
まず、主郭のまわりには土塁が確認されます。
(というか、絵図から読み取るにここは二の郭なのか。)
土塁の向こうには空堀です。橋の入口あたりの空堀は小さいのですが、北に回り込むほど深い大きい堀になっていて見応えあります。ほぼ一周曲輪を巻いています。
最初は戸惑ってたものの傘を片手に薮に突入してみました。反対の曲輪から空堀越しに主郭を見てみましたが、これはいい堀ですね。
五行川河岸段丘上の城として、水を利用して、守られていたというのはわからなくもないですが、どうでしょう。
公園どころか、今は薮に埋もれかけた久下田城ですが、ちょっといい遺構が見られました。
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