0972日本名水100選越前大野の御清水 [名水を訪ねる]
ここを訪れたのは、かれこれ30年ぶりかじゃないかと思う。とても懐かしい風景に感じた。いや、それ以上に嬉しく感じられたのは、とてもきれいに整備されていること。水も以前よりきれいな水がこんこんと湧き出ているように感じられた。
御清水(おしょうず)
天正年間、大野に入封した金森長近公が城下町大野を築いたとき「清水町の南方に方四十間の水溜りを設け城廓内濠の源泉として押門を設け災害又は戦争にも備えた」と大野町史に記されているのが当地と伝えられています。また藩主の「米かしき水」として利用したので別名「殿様清水」とも呼ばれています。
水清き大野の象徴として親しまれ現在は共同洗場として重要な役割を果たしています。ここにも以前は陸封型「イトヨ」が住んでいましたが、初冬から春にかけての地下水位低下による慢性的な湧水の枯渇現象により現在は生息していません。
昭和59年9月10日 大野市
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昔だって案内板くらいはあったと思うが、駐車場もあり、きれいに整備されている。
水が湧き出てくるこの部分を囲っていたのが木枠だったような気がする。
けど、この感じもいい。
雨降りの名水めぐりも冴えない気がしたが、やはりいいものはいいね。
今も共同水場として、掃除当番があったり、洗濯場・野菜洗い場があったりして、水の町大野を実感した。
ここ以外にも、市内いたるところで湧水が見られ、風情があった。
今でも中心部では湧水で水がまかなわれているそうである。道理で簡単にはマンホールが見つからないわけだ。
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御清水(おしょうず)
天正年間、大野に入封した金森長近公が城下町大野を築いたとき「清水町の南方に方四十間の水溜りを設け城廓内濠の源泉として押門を設け災害又は戦争にも備えた」と大野町史に記されているのが当地と伝えられています。また藩主の「米かしき水」として利用したので別名「殿様清水」とも呼ばれています。
水清き大野の象徴として親しまれ現在は共同洗場として重要な役割を果たしています。ここにも以前は陸封型「イトヨ」が住んでいましたが、初冬から春にかけての地下水位低下による慢性的な湧水の枯渇現象により現在は生息していません。
昭和59年9月10日 大野市
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昔だって案内板くらいはあったと思うが、駐車場もあり、きれいに整備されている。
水が湧き出てくるこの部分を囲っていたのが木枠だったような気がする。
けど、この感じもいい。
雨降りの名水めぐりも冴えない気がしたが、やはりいいものはいいね。
今も共同水場として、掃除当番があったり、洗濯場・野菜洗い場があったりして、水の町大野を実感した。
ここ以外にも、市内いたるところで湧水が見られ、風情があった。
今でも中心部では湧水で水がまかなわれているそうである。道理で簡単にはマンホールが見つからないわけだ。
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