1081気賀関所
細江の大河ドラマ館に寄ったついでに気賀関所に寄った。
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もっとも、おんな城主直虎大河ドラマ館の駐車場は気賀関所の西側に設定されており、ここを通らないわけにはいかない。まさに関所だ。
気賀関所
江戸時代細江町を東から西に横切っていた街道を東海道本坂越又は本坂道姫街道などと呼んでいました。
姫街道の要衝であった気賀の地に徳川家康は早くから関所を設けて入鉄砲と出女の監視を中心に通行する人や荷物の取調べを行った。
その後箱根にも関所が設けられ気賀関所は箱根関所今切(新居)関所とともに東海道三大関所といわれ明治2年まで続いた。
平成元年(当時細江町)ふるさと創生事業として現存する資料を調査し寛政元年(1789)初めて瓦葺に改築された気賀関所を冠木門、本番所、向番所、遠見番所、制札場、雪隠、三ツ道具立て、矢来などを再現し等身大の人形を配置して当時を再現した。
浜松市
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わかりやすく再現されている。
しかし、ここはレプリカであって、本来の位置は違う。
姫街道はもう少し北側の国道362号線あたりを通っていたようで、ここから気賀駅を通り越えて800mほど歩いたところに気賀関所はあった。
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そこには碑と案内板がある。
しかし、まあこれは、ありきたりの碑と案内板ということなのだが、ちょっと驚くのはその路地裏である。
見落としてはダメだよ、と言わんばかりの案内がでているので、すぐ気付くだろう。その路地裏を入ってみると。
案内板がある。
その上を見ると、気賀関屋の屋根の切妻破風作りの狐格子があった。
残っているのはこの部分だけらしい。それにしても、この部分だけかもしれないが、よく残してあるものだと驚いた。せっかく細江に来たならば、ちょっと足を延ばして、こんなところも見てあげてほしいものだと思った。
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気賀関所
江戸時代細江町を東から西に横切っていた街道を東海道本坂越又は本坂道姫街道などと呼んでいました。
姫街道の要衝であった気賀の地に徳川家康は早くから関所を設けて入鉄砲と出女の監視を中心に通行する人や荷物の取調べを行った。
その後箱根にも関所が設けられ気賀関所は箱根関所今切(新居)関所とともに東海道三大関所といわれ明治2年まで続いた。
平成元年(当時細江町)ふるさと創生事業として現存する資料を調査し寛政元年(1789)初めて瓦葺に改築された気賀関所を冠木門、本番所、向番所、遠見番所、制札場、雪隠、三ツ道具立て、矢来などを再現し等身大の人形を配置して当時を再現した。
浜松市
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わかりやすく再現されている。
しかし、ここはレプリカであって、本来の位置は違う。
姫街道はもう少し北側の国道362号線あたりを通っていたようで、ここから気賀駅を通り越えて800mほど歩いたところに気賀関所はあった。
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そこには碑と案内板がある。
しかし、まあこれは、ありきたりの碑と案内板ということなのだが、ちょっと驚くのはその路地裏である。
見落としてはダメだよ、と言わんばかりの案内がでているので、すぐ気付くだろう。その路地裏を入ってみると。
案内板がある。
その上を見ると、気賀関屋の屋根の切妻破風作りの狐格子があった。
残っているのはこの部分だけらしい。それにしても、この部分だけかもしれないが、よく残してあるものだと驚いた。せっかく細江に来たならば、ちょっと足を延ばして、こんなところも見てあげてほしいものだと思った。
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