1090湯島城(静岡県) [城印象記]
静岡市葵区油島字城山の湯島城を紹介します。
より大きな地図で蔓草マップ を表示
菜流寺への道があります。勾配がきついですが、舗装された道が菜流寺奥のお墓場まであります。そこに数台分の駐車が出来ます。そちらを利用させていただきました。
登城口は何も示されていませんが、実はこの浄水設備の横になります。山に向かう小道がうすく見えると思います。
しばらく沢の左を歩き、沢の流れがなくなるあたりで横断し、山へと入っていきます。
そのあたりから逆の左の尾根に登る道もあります。そこには削平地があるようですが、こちらは割愛してしまいました。
小道はうっすらとしていて見失いやすいレベルです。斜度もきついですから気をつけて登って下さい。
約20分ほどの登りです。比高で120mほどでしょうか。
そろそろ頂上かと思った時、いきなり現れました。堀切と土橋です。尾根筋を削り込んだ感じがあり、お城の遺構とすぐ分かりました。
いいですねえ。ただ強烈に遺構を感じたのは、実は、ここともう1ヶ所あるだけなのですが。
廃屋になった小屋が見えます。どうやらここらあたりが主郭のようです。
裏に回ってみます。削平地が広がっています。今は植林されていますが、かつては茶畑にされてたそうです。藪化している部分も多く、また削平なども、素直に遺構と受け取れない部分もありますが、ともかく、かつては城の曲輪として広い平らな土地だったのでしょう。
廃れた井戸があります。天水をためるようなものでしょう。これがそのままお城の遺構かどうかはわかりません。でも、曲輪といい遺構を利用した可能性は高そうに思えました。
こちらの甕には水がしっかり溜まっていました。天水でも、しっかり溜めて利用することはできたということですね。
《画像》09
削平地は広く、そして東に続いています。あれほど急斜面だったことを思えば、別世界のようです。途中の部分は緩やかに下っていましたが、その先は方形状に削平地になっています。
西が主郭であり、東が2の曲輪という位置付のようですがはっはりしません。ただ両端が広くなっていて中央がやや狭まっていること、西がやや高いこと、などからそう見えるということです。
改変もあってか、城の遺構らしさはあまり感じられません。
しかし、削平地の縁から見ると、かなり切岸状になっていることがわかります。この地形はお城だなと感じます。
東北方面に下る道があります。その先に鉄塔があります。
この尾根道を行ったところに堀切があります。
これぞ、山城の遺構というような堀切です。特別な規模ではありませんが、手応えがあって、嬉しいものです。
反対側から、もう一枚。
あとは、これというものはありません。
主郭の南側も探索しましたが、畑の土留めに作られたと思われる石垣がありました。位置的にも、城遺構には思われませんでした。
もう少し下ったところには、茶畑の名残がありました。
両端に残る遺構と広い削平地を考えれば、そこそこの城だったのだろうなと想像されます。しかし、それらが、畑などで破壊されてしまったのでしょう。
今は山林と薮と壊れた廃屋を見ながら、人の営みをいろいろ感じます。
けっこう高い山ですが眺望はすぐれません。これは登城口の反対にあったお墓の上から見た安倍川の景色ですが、山林がなければもう少し角度あるいい景色が、往時は望めたのかもしれませんね。
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登城口は何も示されていませんが、実はこの浄水設備の横になります。山に向かう小道がうすく見えると思います。
しばらく沢の左を歩き、沢の流れがなくなるあたりで横断し、山へと入っていきます。
そのあたりから逆の左の尾根に登る道もあります。そこには削平地があるようですが、こちらは割愛してしまいました。
小道はうっすらとしていて見失いやすいレベルです。斜度もきついですから気をつけて登って下さい。
約20分ほどの登りです。比高で120mほどでしょうか。
そろそろ頂上かと思った時、いきなり現れました。堀切と土橋です。尾根筋を削り込んだ感じがあり、お城の遺構とすぐ分かりました。
いいですねえ。ただ強烈に遺構を感じたのは、実は、ここともう1ヶ所あるだけなのですが。
廃屋になった小屋が見えます。どうやらここらあたりが主郭のようです。
裏に回ってみます。削平地が広がっています。今は植林されていますが、かつては茶畑にされてたそうです。藪化している部分も多く、また削平なども、素直に遺構と受け取れない部分もありますが、ともかく、かつては城の曲輪として広い平らな土地だったのでしょう。
廃れた井戸があります。天水をためるようなものでしょう。これがそのままお城の遺構かどうかはわかりません。でも、曲輪といい遺構を利用した可能性は高そうに思えました。
こちらの甕には水がしっかり溜まっていました。天水でも、しっかり溜めて利用することはできたということですね。
《画像》09
削平地は広く、そして東に続いています。あれほど急斜面だったことを思えば、別世界のようです。途中の部分は緩やかに下っていましたが、その先は方形状に削平地になっています。
西が主郭であり、東が2の曲輪という位置付のようですがはっはりしません。ただ両端が広くなっていて中央がやや狭まっていること、西がやや高いこと、などからそう見えるということです。
改変もあってか、城の遺構らしさはあまり感じられません。
しかし、削平地の縁から見ると、かなり切岸状になっていることがわかります。この地形はお城だなと感じます。
東北方面に下る道があります。その先に鉄塔があります。
この尾根道を行ったところに堀切があります。
これぞ、山城の遺構というような堀切です。特別な規模ではありませんが、手応えがあって、嬉しいものです。
反対側から、もう一枚。
あとは、これというものはありません。
主郭の南側も探索しましたが、畑の土留めに作られたと思われる石垣がありました。位置的にも、城遺構には思われませんでした。
もう少し下ったところには、茶畑の名残がありました。
両端に残る遺構と広い削平地を考えれば、そこそこの城だったのだろうなと想像されます。しかし、それらが、畑などで破壊されてしまったのでしょう。
今は山林と薮と壊れた廃屋を見ながら、人の営みをいろいろ感じます。
けっこう高い山ですが眺望はすぐれません。これは登城口の反対にあったお墓の上から見た安倍川の景色ですが、山林がなければもう少し角度あるいい景色が、往時は望めたのかもしれませんね。
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