1185余野本城(大阪府) [城印象記]
大阪府豊能郡豊能町余野の余野本城を紹介します。
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国道423号線切畑口交差点を南に曲がります。目指すは、ここから北西4~500mの丘陵のピークです。付近は道は細く駐車できる場所はほとんどありません。駐車には苦労しました。
少し遠くに停めて歩きました。余野本城が見えます。手前が東出丸で、奥が主郭になります。
東西尾根の南側に着きます。資材置場があり、そのあたりから登れるという紹介もありましたが、それらしいものが見つかりません。とにかく、あの尾根だと決めて山にもぐりこみました。
山すそに田んぼがあるのですが、実は害獣駆除のネットがあってそれを避けて回り込むのに苦労してしまいました。比高はわずかですが、その点では攻略は大変です。ご迷惑をかけないよう、配慮して山に入って下さい。
まずは端っこからです。東の尾根先のピークを東出丸としましたが、全くの自然地形で、城遺構は感じられません。
その東出丸から主郭へ向かう方向へ下ってきたところに、堀切っぽい竪堀があります。
そして尾根を登るように主郭に近づきます。
主郭に近づくと俄然お城の遺構を感じ始めます。まずは一番高い所へと足を運びます。気が付くと、そこは切岸に囲まれた櫓台でした。
段差としてはわずかですが、その周囲に広がるのが主郭になります。
なにか仕切りを意図したかのような起伏もありますが、この削平地はひとつの曲輪なのでしょう。広い主郭です。
主郭を歩いて、櫓台から一番遠くまで来ました。周囲はうっすらと土塁がみられます。高さは失われてしまったのかもしれません。が幅はありそうです。
この櫓台から遠い所の土塁には、石も多く見られました。石での補強があったのかもしれません。
周囲には、上からは帯郭が巡っているように見えました。
が、確認に降りてみると、横堀がめぐっているというところでしょうか。
周囲は、見所ある遺構が見られます。横堀の要所要所に竪堀があります。なかでも、櫓台から見て櫓台直下の東の方向にある竪堀は、長そうです。よく掘られています。
また西側には畝状竪堀が見られます。
わかりにくいでしょうか。現場では大いに感動していました。
主郭から、北西方面に降りる道がついていて、登城道になるのでしょうか。
その道を進んだところに井戸があります。これまた、明確な遺構です。
振返って見た景色です。井戸の向こうは土橋になっています。上のラインが主郭になります。
その先はいうとこんな様子です。削平された曲輪のような、自然地形のような、微妙な感じが続きます。
しかし、空堀といっていいのではという明確な部分もあり、迷います。
とりあえず、ここが端っこの堀切になるようです。
主郭とその周辺の遺構は見事で、大きな単郭の発展した山城といっていいのでしょう。周辺への広がりは、城の拡張を意図していたのでしょうか。
そのあたりはゆっくり考えてみたいところです。
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国道423号線切畑口交差点を南に曲がります。目指すは、ここから北西4~500mの丘陵のピークです。付近は道は細く駐車できる場所はほとんどありません。駐車には苦労しました。
少し遠くに停めて歩きました。余野本城が見えます。手前が東出丸で、奥が主郭になります。
東西尾根の南側に着きます。資材置場があり、そのあたりから登れるという紹介もありましたが、それらしいものが見つかりません。とにかく、あの尾根だと決めて山にもぐりこみました。
山すそに田んぼがあるのですが、実は害獣駆除のネットがあってそれを避けて回り込むのに苦労してしまいました。比高はわずかですが、その点では攻略は大変です。ご迷惑をかけないよう、配慮して山に入って下さい。
まずは端っこからです。東の尾根先のピークを東出丸としましたが、全くの自然地形で、城遺構は感じられません。
その東出丸から主郭へ向かう方向へ下ってきたところに、堀切っぽい竪堀があります。
そして尾根を登るように主郭に近づきます。
主郭に近づくと俄然お城の遺構を感じ始めます。まずは一番高い所へと足を運びます。気が付くと、そこは切岸に囲まれた櫓台でした。
段差としてはわずかですが、その周囲に広がるのが主郭になります。
なにか仕切りを意図したかのような起伏もありますが、この削平地はひとつの曲輪なのでしょう。広い主郭です。
主郭を歩いて、櫓台から一番遠くまで来ました。周囲はうっすらと土塁がみられます。高さは失われてしまったのかもしれません。が幅はありそうです。
この櫓台から遠い所の土塁には、石も多く見られました。石での補強があったのかもしれません。
周囲には、上からは帯郭が巡っているように見えました。
が、確認に降りてみると、横堀がめぐっているというところでしょうか。
周囲は、見所ある遺構が見られます。横堀の要所要所に竪堀があります。なかでも、櫓台から見て櫓台直下の東の方向にある竪堀は、長そうです。よく掘られています。
また西側には畝状竪堀が見られます。
わかりにくいでしょうか。現場では大いに感動していました。
主郭から、北西方面に降りる道がついていて、登城道になるのでしょうか。
その道を進んだところに井戸があります。これまた、明確な遺構です。
振返って見た景色です。井戸の向こうは土橋になっています。上のラインが主郭になります。
その先はいうとこんな様子です。削平された曲輪のような、自然地形のような、微妙な感じが続きます。
しかし、空堀といっていいのではという明確な部分もあり、迷います。
とりあえず、ここが端っこの堀切になるようです。
主郭とその周辺の遺構は見事で、大きな単郭の発展した山城といっていいのでしょう。周辺への広がりは、城の拡張を意図していたのでしょうか。
そのあたりはゆっくり考えてみたいところです。
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