1192能勢丸山城(大阪府) [城印象記]
大阪府豊能郡能勢町地黄の能勢丸山城(摂津丸山城)を紹介します。
より大きな地図で蔓草マップ を表示
見学を終えてから偶然にも気が付いたのですが、国道477号線東郷バイパス沿い、地図で言えば丸山神社の東、小道に入る入口に案内板がありました。
地黄古城 丸山城跡
大阪府豊能郡能勢町地黄
標高281m比高50m
この丸山城は長元年間(1028-37)源頼光の子頼国が摂津から丹波へ通じる交通の要所であるこの地に城を築き能勢氏を称し代々ここを居城とした。
城郭は北から南へ延びる尾根の先端を深い堀切を設け、尾根を区切り、北より本丸、二ノ丸、三ノ丸、廓など一列に並び細長くなっている。
史跡は中世の築城様式特有の土塁、竪堀、空堀、帯曲輪等が設けられ防御に優れた山城で幾度も戦いが繰り返されたが、その都度退け、500年余り守り続けた遺構が原形のままで残されている。
城 名 丸山城(地黄古城)
所在地 能勢町地黄
規 模 200m×120m
標 高 281m
比 高 50m
遺 構 土塁、虎口、立土塁、削平地、井戸、竪堀、空堀、堀切
城 主 能勢氏累代
年代推定戦国時代
能勢地黄城築城400年祭紀念事業(2015・4)
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一部表記を修正させてもらいました。熱意はあるのですが、ちょっといただけない感じがする記念事業ではありますが、説明は嬉しいです。
縄張図付きです。
実際には、清普寺の見学を終えたあと、登城しました。車は、そのまま清普寺の駐車場を利用させていただきました。
こちらから見る丸山城は、丸山に見えます。
この小山の右1/3あたりに登城道があります。田んぼや害獣よけの電線もあるので、まわりこむように山に入ります。
入口に石造九重塔があります。
鎌倉時代(弘安11(1288)年)のもので能勢氏の武威と経済的な力を感じさせるものです。大阪府の有形文化財です。
もう少し行くと「史跡城山城跡」という棒杭があります。こんな登城口・登城道ですが、大手口にあたります。
登ること数分で南郭に出ます。
《
振り返ると社が祀られています。丸山神社でしょう。
社のある北へと足を進めます。背後には切岸状になった削平地があります。
主郭です。
さほどは広くない削平地で、詰まらない風景ではありますが。
主郭の周りは帯郭が巡り、よく切岸がわかります。
北へと、二郭へと、進みます。間に小さな堀切です。
そして二郭の先は狼煙台跡とありました。うっすらとわかる程度の遺構です。
しかし、驚いたのはこの突端から覗き込んだ谷です。縄張図を持って歩いているので様子もわかっているつもりなのですが、この落差は意表を突かれました。
振返ると二郭と主郭との接続部が見えます。この虎口がいい感じに思えます。
二郭から降りてきて、その先の北郭を見たところです。少し高台になってます。
しかし、振り返って見る二郭が高い位置です。堀切の案内がありました。プラス切岸ですね。自然地形を利用しているのでしょうが、敵を寄せ付けぬ高さです。
北郭の周囲も郭があり、防御拠点になっているようです。単純そうでなかなか複雑な組合せです。
そして、その先も大きな落差があり、道路に面していました。
低い山ですが、その比高を十二分に発揮させているところが素晴らしいですね。
一直線に並んだ縄張で、簡単なようで複雑なところがあって、それは長い歳月を使われたからなのでしょう、またコンパクトな城にも感じました。
再び戻って南郭からの眺望です。地黄城がすぐ近くに見えます。
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見学を終えてから偶然にも気が付いたのですが、国道477号線東郷バイパス沿い、地図で言えば丸山神社の東、小道に入る入口に案内板がありました。
地黄古城 丸山城跡
大阪府豊能郡能勢町地黄
標高281m比高50m
この丸山城は長元年間(1028-37)源頼光の子頼国が摂津から丹波へ通じる交通の要所であるこの地に城を築き能勢氏を称し代々ここを居城とした。
城郭は北から南へ延びる尾根の先端を深い堀切を設け、尾根を区切り、北より本丸、二ノ丸、三ノ丸、廓など一列に並び細長くなっている。
史跡は中世の築城様式特有の土塁、竪堀、空堀、帯曲輪等が設けられ防御に優れた山城で幾度も戦いが繰り返されたが、その都度退け、500年余り守り続けた遺構が原形のままで残されている。
城 名 丸山城(地黄古城)
所在地 能勢町地黄
規 模 200m×120m
標 高 281m
比 高 50m
遺 構 土塁、虎口、立土塁、削平地、井戸、竪堀、空堀、堀切
城 主 能勢氏累代
年代推定戦国時代
能勢地黄城築城400年祭紀念事業(2015・4)
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一部表記を修正させてもらいました。熱意はあるのですが、ちょっといただけない感じがする記念事業ではありますが、説明は嬉しいです。
縄張図付きです。
実際には、清普寺の見学を終えたあと、登城しました。車は、そのまま清普寺の駐車場を利用させていただきました。
こちらから見る丸山城は、丸山に見えます。
この小山の右1/3あたりに登城道があります。田んぼや害獣よけの電線もあるので、まわりこむように山に入ります。
入口に石造九重塔があります。
鎌倉時代(弘安11(1288)年)のもので能勢氏の武威と経済的な力を感じさせるものです。大阪府の有形文化財です。
もう少し行くと「史跡城山城跡」という棒杭があります。こんな登城口・登城道ですが、大手口にあたります。
登ること数分で南郭に出ます。
《
振り返ると社が祀られています。丸山神社でしょう。
社のある北へと足を進めます。背後には切岸状になった削平地があります。
主郭です。
さほどは広くない削平地で、詰まらない風景ではありますが。
主郭の周りは帯郭が巡り、よく切岸がわかります。
北へと、二郭へと、進みます。間に小さな堀切です。
そして二郭の先は狼煙台跡とありました。うっすらとわかる程度の遺構です。
しかし、驚いたのはこの突端から覗き込んだ谷です。縄張図を持って歩いているので様子もわかっているつもりなのですが、この落差は意表を突かれました。
振返ると二郭と主郭との接続部が見えます。この虎口がいい感じに思えます。
二郭から降りてきて、その先の北郭を見たところです。少し高台になってます。
しかし、振り返って見る二郭が高い位置です。堀切の案内がありました。プラス切岸ですね。自然地形を利用しているのでしょうが、敵を寄せ付けぬ高さです。
北郭の周囲も郭があり、防御拠点になっているようです。単純そうでなかなか複雑な組合せです。
そして、その先も大きな落差があり、道路に面していました。
低い山ですが、その比高を十二分に発揮させているところが素晴らしいですね。
一直線に並んだ縄張で、簡単なようで複雑なところがあって、それは長い歳月を使われたからなのでしょう、またコンパクトな城にも感じました。
再び戻って南郭からの眺望です。地黄城がすぐ近くに見えます。
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