1241下永東城(奈良県) [城印象記]
奈良県磯城郡川西町下永の下永東城を紹介します。
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こちらの八幡神社付近が下永東城になります。
案内板があります。
川西町 町・村の歴史 大字 下永(東城)(ひがしんじょう)
大字下永(東城)の概要
下永東城は、旧下永村の旧初瀬川(はせがわ)(現在の大和川)左岸にある東城垣内(かいと)である。下永村は古くは、公式な中世文書にも「下長村」として登場し、その後1700年代に「下永村」となる。東城の地名は、西城(にしんじょう)とともに外敵の侵入を防ぐ砦が築かれたことに由来すると伝えられている。東城には、八幡神社が鎮座している。もとは旧初瀬川右岸東方の小字高堂に神宮寺の白米蜜寺と並んであったと伝えられている。白米蜜寺旧蔵の遺物のうち、仏像は東城の地蔵堂、石造物は東方の教願寺にある。その後、東城に移った八幡神社境内に地蔵堂(収蔵庫)が建てられ、収蔵庫内には、「白米蜜寺住僧厳」の名が印された天明8年(1788)の水船、平安時代の阿弥陀如来坐像・地蔵菩薩立象(国重文)、鎌倉時代の不動明王立像(県文化財)が保存されている。
又、この八幡神社境内には、江戸時代後期、孝明天王から「日本一の石工」と賞賛された丹波出身の旅の石工「丹波佐吉」の作品(獅子・狛犬)がある。作品の特徴としては、骨格ががっちりしていて、高く胸を張り、大腿部を低くして隙がない。両眼は深く引っ込み、目つきが鋭い。頭部から顎部にかけての巻毛は大きく渦を巻き、流れ毛も豊かで際立って浮き上がり、佐吉特有の細かな技法を見せている。
CN35周年事業 大和磯城ライオンズクラブ贈 平成23年10月9日 LNo52 下永東城自治会
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地域の由来がわかる説明で、風景を見る目も深まります。
城の遺構は何もありません。が、「外敵の侵入を防ぐ砦が築かれた」という言い伝えが地名と共にあったのでしょう。
ま、記念にこんなものを写して納得します。
説明文後半にもある丹波佐吉の狛犬は立派です。オーソドックスな造りですが、ひと味違うものを魅せています。
いわゆる無個性と言われる岡崎型のものと思うと、貴賓を感じますね。
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こちらの八幡神社付近が下永東城になります。
案内板があります。
川西町 町・村の歴史 大字 下永(東城)(ひがしんじょう)
大字下永(東城)の概要
下永東城は、旧下永村の旧初瀬川(はせがわ)(現在の大和川)左岸にある東城垣内(かいと)である。下永村は古くは、公式な中世文書にも「下長村」として登場し、その後1700年代に「下永村」となる。東城の地名は、西城(にしんじょう)とともに外敵の侵入を防ぐ砦が築かれたことに由来すると伝えられている。東城には、八幡神社が鎮座している。もとは旧初瀬川右岸東方の小字高堂に神宮寺の白米蜜寺と並んであったと伝えられている。白米蜜寺旧蔵の遺物のうち、仏像は東城の地蔵堂、石造物は東方の教願寺にある。その後、東城に移った八幡神社境内に地蔵堂(収蔵庫)が建てられ、収蔵庫内には、「白米蜜寺住僧厳」の名が印された天明8年(1788)の水船、平安時代の阿弥陀如来坐像・地蔵菩薩立象(国重文)、鎌倉時代の不動明王立像(県文化財)が保存されている。
又、この八幡神社境内には、江戸時代後期、孝明天王から「日本一の石工」と賞賛された丹波出身の旅の石工「丹波佐吉」の作品(獅子・狛犬)がある。作品の特徴としては、骨格ががっちりしていて、高く胸を張り、大腿部を低くして隙がない。両眼は深く引っ込み、目つきが鋭い。頭部から顎部にかけての巻毛は大きく渦を巻き、流れ毛も豊かで際立って浮き上がり、佐吉特有の細かな技法を見せている。
CN35周年事業 大和磯城ライオンズクラブ贈 平成23年10月9日 LNo52 下永東城自治会
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地域の由来がわかる説明で、風景を見る目も深まります。
城の遺構は何もありません。が、「外敵の侵入を防ぐ砦が築かれた」という言い伝えが地名と共にあったのでしょう。
ま、記念にこんなものを写して納得します。
説明文後半にもある丹波佐吉の狛犬は立派です。オーソドックスな造りですが、ひと味違うものを魅せています。
いわゆる無個性と言われる岡崎型のものと思うと、貴賓を感じますね。
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