1268法観寺八坂五重塔(重文) [和塔]
京都東山の八坂の塔を訪れた。
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鴨川を渡り、いよいよ坂を登り始めるなあと思う頃に見えてくる。よく見るような風景でいて、でも五重塔にこだわりをもって訪れたのは初めてだろう。
この狭い道に車が入り込んでいる。その向こうには人力車。行き交う観光客。
こんな風景が京都なのだろう。
いよいよ八坂の塔が眼前に迫ってきた。
瓦葺の古めかしい建物だ。室町時代1440年に再建された。
足元では、「聖徳太子御建立」「日本最初之宝塔」の案内が見える。
入口は右に回り込んだあたりで、拝観料は400円。午前10時-午後3時。中学生未満のお子様の拝観はご遠慮下さい、とある。
入口に説明板があった。
法観寺・八坂の塔(ほうかんじ・やさかのとう)
霊応山と号し、臨済宗建仁寺派に属する。
寺伝によれば、聖徳太子が如意輪観音の夢のお告げにより建立し、往時は延喜式七ヶ寺の一つに数えられ隆盛を極めたが、現在は八坂の塔(五重塔)と太子堂、薬師堂の二宇を残すのみである。
八坂の塔は本瓦葺き五層、方六メートル、高さ四十六メートルの純然たる和様建築で、白鳳時代の建築様式を今に伝えるものである。創建以来、度々災火により焼失したが、その都度再建され、現在の塔は永享十二年(1440)に足利義教によって再興されたものです。塔内には本尊五智如来像五体(大日、釈迦、阿しゅく、宝生、弥陀)を安置し、須弥壇の下には古い松香石製の大きい中心礎石があり、中央には舎利器を納めた三重の凹孔が残っている。寺宝として、塔を中心に当時の社寺を描いた紙本著色八坂塔絵図のほか、足利義教画像、法観雑記など貴重な文化財を蔵している。
京都市
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初層を西の正面から眺める。
反対側へ回る。見上げる。
東側には入口が開かれていた。
内部に入れることまでチェックしてなくて、サプライズの見学になった。
古めかしい木造建築の中に安置された仏像。これがなかなかいい。
まず入った正面、東を向いているのが、阿しゅく如来。
北を向いている釈迦如来。黒くて、ひとまわり大きい。
南を向いている宝生如来。
そして西の正面には弥陀如来。
その上には、雲に乗った大日如来がいる。
これらの五智如来像に圧倒された。像の大きさがそれぞれで、その重なり合う様子が面白い。
内部はこの1階部分と2階までが、参観できる。城郭で慣れているとはいえ、階段は急で、はしごのようだ。
2階から下を眺めたところ。
2階は狭く、木がきしむ。まさか崩れることはあるまいが、いつ崩れてもおかしくないくらいに感じた。そんな国の重要文化財に入っていいのかと思ったりして心配もするが、観光客の多い界隈なのに、ここまであがってくる人はほとんどおらず、贅沢なひと時を過ごした。
いつもは外から眺めて感心している木組みを内側から見る。よくわからないが、これも面白い。
2階の西方の窓から眺めた京都の街。
1階2階と行き来する途中で心柱も見える。手を伸ばして撮ってみた。
どうも上手く撮れたとは言い難いが、それにしてもこんなふうに心柱を見るのは初めてだ。五重塔の心柱、ワクワクしてしまった。
その心柱の礎石。「中心礎石/飛鳥時代」と説明があった。
和塔としての姿のいい五重塔を画像に収めることは出来なかったが、いいものを鑑賞できたと思う。それにしても、拝観者は少なかった。せっかく内部も見学できるというのに、もったいない限り。少し残念に思う。
東山の坂を登る。
確かに和塔の全身の姿を撮れなかったが、こうした風景の中の五重塔も、また素敵なものに違いない。
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鴨川を渡り、いよいよ坂を登り始めるなあと思う頃に見えてくる。よく見るような風景でいて、でも五重塔にこだわりをもって訪れたのは初めてだろう。
この狭い道に車が入り込んでいる。その向こうには人力車。行き交う観光客。
こんな風景が京都なのだろう。
いよいよ八坂の塔が眼前に迫ってきた。
瓦葺の古めかしい建物だ。室町時代1440年に再建された。
足元では、「聖徳太子御建立」「日本最初之宝塔」の案内が見える。
入口は右に回り込んだあたりで、拝観料は400円。午前10時-午後3時。中学生未満のお子様の拝観はご遠慮下さい、とある。
入口に説明板があった。
法観寺・八坂の塔(ほうかんじ・やさかのとう)
霊応山と号し、臨済宗建仁寺派に属する。
寺伝によれば、聖徳太子が如意輪観音の夢のお告げにより建立し、往時は延喜式七ヶ寺の一つに数えられ隆盛を極めたが、現在は八坂の塔(五重塔)と太子堂、薬師堂の二宇を残すのみである。
八坂の塔は本瓦葺き五層、方六メートル、高さ四十六メートルの純然たる和様建築で、白鳳時代の建築様式を今に伝えるものである。創建以来、度々災火により焼失したが、その都度再建され、現在の塔は永享十二年(1440)に足利義教によって再興されたものです。塔内には本尊五智如来像五体(大日、釈迦、阿しゅく、宝生、弥陀)を安置し、須弥壇の下には古い松香石製の大きい中心礎石があり、中央には舎利器を納めた三重の凹孔が残っている。寺宝として、塔を中心に当時の社寺を描いた紙本著色八坂塔絵図のほか、足利義教画像、法観雑記など貴重な文化財を蔵している。
京都市
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初層を西の正面から眺める。
反対側へ回る。見上げる。
東側には入口が開かれていた。
内部に入れることまでチェックしてなくて、サプライズの見学になった。
古めかしい木造建築の中に安置された仏像。これがなかなかいい。
まず入った正面、東を向いているのが、阿しゅく如来。
北を向いている釈迦如来。黒くて、ひとまわり大きい。
南を向いている宝生如来。
そして西の正面には弥陀如来。
その上には、雲に乗った大日如来がいる。
これらの五智如来像に圧倒された。像の大きさがそれぞれで、その重なり合う様子が面白い。
内部はこの1階部分と2階までが、参観できる。城郭で慣れているとはいえ、階段は急で、はしごのようだ。
2階から下を眺めたところ。
2階は狭く、木がきしむ。まさか崩れることはあるまいが、いつ崩れてもおかしくないくらいに感じた。そんな国の重要文化財に入っていいのかと思ったりして心配もするが、観光客の多い界隈なのに、ここまであがってくる人はほとんどおらず、贅沢なひと時を過ごした。
いつもは外から眺めて感心している木組みを内側から見る。よくわからないが、これも面白い。
2階の西方の窓から眺めた京都の街。
1階2階と行き来する途中で心柱も見える。手を伸ばして撮ってみた。
どうも上手く撮れたとは言い難いが、それにしてもこんなふうに心柱を見るのは初めてだ。五重塔の心柱、ワクワクしてしまった。
その心柱の礎石。「中心礎石/飛鳥時代」と説明があった。
和塔としての姿のいい五重塔を画像に収めることは出来なかったが、いいものを鑑賞できたと思う。それにしても、拝観者は少なかった。せっかく内部も見学できるというのに、もったいない限り。少し残念に思う。
東山の坂を登る。
確かに和塔の全身の姿を撮れなかったが、こうした風景の中の五重塔も、また素敵なものに違いない。
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