1284奥佐田城(三重県) [城印象記]
津市白山町佐田字味曾谷の奥佐田城(笹山城)を紹介します。
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県道28号線を北に向かい、近鉄線をくぐって、300mほど進んだところを右に入ります。角にはバス亭がありました。そこから見える山に、今から目指す奥佐田城があります。
集落の中は道が狭く、駐車場もありません。私は県道28号線の余白地に停めましたが、少し離れますがそれが無難かと思います。
さて、入った道のまっすぐ先に登城口が見えます。
案内があるわけではありません。ただ、道があって山へ入るのにいい道です。
図に示すと、城のある尾根ではなく、その隣になります。別尾根から登って背後に回り込み、下る尾根先にある城を訪ねます。
実はこの尾根には祠が祀られていました。だから、道が通じていたのですね。
祠のための削平でしょうが、ここも曲輪っぽくて、一時は実はU字谷を内に抱えた大きなお城なのでは、と思ってしまいました。
(結論を先に書くと、尾根先にある遺構の確からしさ、こじんまりとした感じなどから言って、それはないと思い直しました。当時の在地勢力では、そんな大城郭は築かないでしょう。)
その後も、けっこう歩きやすい道で登れました。
背後にあたるピークです。
曲輪としてもいいような削平地です。
くだったところから見上げた感じなど、いかにも、という感じがありました。
しかし、次に見た方形土塁の遺構をみたら、そんな考えはふっとんでしまいました。やっぱり、ホンモノと似たようなケシキは違う、と私は感じました。
上から見るよりも下からの方が、土塁の存在がよくわかりますか。
この遺構にぐっときました。そして、この先、もう少し下ったところに更にしっかりとした遺構が残されています。
堀切です。インパクトありました。
ただ、横から見るとそんなに規模のあるものではありません。
方形土塁が続きます。
どうやら方形土塁が2つ連なったような縄張です。
奥の曲輪です。
その先の曲輪です。
土塁も大きなものではなく、高いものでもありません。でも、小さいながらにもはっきりした遺構でした。手応えありです。
北畠家臣の堀山次郎左衛門の居城と伝わる奥佐田城です。
2つ連なった方形土塁とその上にある方形土塁の城でしょう。
絶好の位置に構えられ、こじんまりとしながらも、よく遺構が残っているお城でした。
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県道28号線を北に向かい、近鉄線をくぐって、300mほど進んだところを右に入ります。角にはバス亭がありました。そこから見える山に、今から目指す奥佐田城があります。
集落の中は道が狭く、駐車場もありません。私は県道28号線の余白地に停めましたが、少し離れますがそれが無難かと思います。
さて、入った道のまっすぐ先に登城口が見えます。
案内があるわけではありません。ただ、道があって山へ入るのにいい道です。
図に示すと、城のある尾根ではなく、その隣になります。別尾根から登って背後に回り込み、下る尾根先にある城を訪ねます。
実はこの尾根には祠が祀られていました。だから、道が通じていたのですね。
祠のための削平でしょうが、ここも曲輪っぽくて、一時は実はU字谷を内に抱えた大きなお城なのでは、と思ってしまいました。
(結論を先に書くと、尾根先にある遺構の確からしさ、こじんまりとした感じなどから言って、それはないと思い直しました。当時の在地勢力では、そんな大城郭は築かないでしょう。)
その後も、けっこう歩きやすい道で登れました。
背後にあたるピークです。
曲輪としてもいいような削平地です。
くだったところから見上げた感じなど、いかにも、という感じがありました。
しかし、次に見た方形土塁の遺構をみたら、そんな考えはふっとんでしまいました。やっぱり、ホンモノと似たようなケシキは違う、と私は感じました。
上から見るよりも下からの方が、土塁の存在がよくわかりますか。
この遺構にぐっときました。そして、この先、もう少し下ったところに更にしっかりとした遺構が残されています。
堀切です。インパクトありました。
ただ、横から見るとそんなに規模のあるものではありません。
方形土塁が続きます。
どうやら方形土塁が2つ連なったような縄張です。
奥の曲輪です。
その先の曲輪です。
土塁も大きなものではなく、高いものでもありません。でも、小さいながらにもはっきりした遺構でした。手応えありです。
北畠家臣の堀山次郎左衛門の居城と伝わる奥佐田城です。
2つ連なった方形土塁とその上にある方形土塁の城でしょう。
絶好の位置に構えられ、こじんまりとしながらも、よく遺構が残っているお城でした。
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