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1293亘理神社の扁額(宮城県亘理郡亘理町) [扁額]

宮城県亘理郡亘理町にある亘理神社です。

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ここは、亘理城のあった故地でもあります。

南の堀なども残り雰囲気をとどめています。

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本丸の碑です。

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亘理初代の伊達成実について説明された案内がありました。

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  亘理神社の碑(伊達成実伝)

 亘理伊達家初代成実(しげざね)は、伊達実元(さねもと)(政宗の祖父晴宗の弟)の長男として、永禄11年(1568年)信夫郡(現福島市郊外)大森城に生まれた。母は伊達晴宗の娘である。
 17歳の時父の跡を継いで、一年年上の伊達家当主政宗公に仕えた。
 若くして武勇の誉れ高く、天正13年(1585年)の人取橋の合戦には、劣勢だった政宗軍の形勢を逆転させた。以後、摺上原の戦い等、戦いのたび功績をあげて、「炎の闘将」の名を天下にとどろかせた。
 豊臣秀吉時代、政宗が“逆心”の疑念をうけた時には、人質となって伊達家のために尽くしたものの、一時政宗と不仲になり高野山にこもった。
 しかし、関ヶ原の戦いがおこると急ぎ帰り、上杉方白石城を攻め、その功績により晴れて慶長7年(1602年)亘理城主となった。その後、城下町亘理を建設する一方、新田開発を盛んに行って領内を治めた。同時に仙台藩主政宗公の片腕として、数々の重責を果たした。
 また、成実は、深い教養を備えた人物でもあった。彼の著わした『成実記』は、政宗公が仙台藩を築いた時期の歴史的記録としても貴重である。
 政宗公の9男宗実を跡継ぎとして迎え、終生、仙台藩への忠誠を貫き、その安泰に尽くして、正保3年(1646年)79歳で生涯をとじた。
 明治12年、成実は亘理神社に祀られ(神号 武早知雄命(たけはやちおのみこと))、同30年、成実の生涯を刻んだ碑がここに建立された。

  昭和62年9月再建  亘理町教育委員会

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そうなのです、伊達成実祀った神社が亘理神社なのです。

狛犬が控えています。

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扁額には「武早知雄命」とあるのは、伊達成実公を表しているわけです。

ちなみに鈴木賢精氏は1900年(明治33年)-1901年(明治34年)に亘理町町長を務めておられた方です。

流れるような線がいいです。

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