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1350明石道峯構付城(兵庫県) [城印象記]

兵庫県三木市福井の明石道峯構付城(あかしみちみねがまえつけじろ)を紹介します。

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三木城付城めぐりも夕暮れが迫ってきました。こちらは、比較的案内などがありわかりやすくなっています。三木合戦2期のものになります。

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ターゲットバードゴルフ場が横に出来て、公園化されています。

城へは登り道が付けられていました。

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西郭に着きます。その隣が主郭で、その間には櫓台が残っています。

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縄張図付きの案内板がありました。

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  明石道峯構付城(あかしみちみねがまえつけじろ)

 この付城は、三木城の兵糧攻めに際して築かれた30余りの付城の一つで、天保12年(1841)の絵図「三木城地図」に描かれていましたが、平成11年に所在が確認されるまで、その存在は明らかではありませんでした。
 付城は、土塁で囲まれた主郭と東郭、そして尾根先端の西郭から構成しており、東郭を囲む土塁の南東隅に虎口を設け、それぞれ郭の出入り口としてします。
 また、確認調査によって、主郭の東側土塁と東郭の東側土塁の外側で、土塁裾に沿って堀跡が検出されています。

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これが確認調査でわかったという堀です。

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そして奥には東郭です。広い削平地が見られます。

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  東郭

主郭の東側に付随する郭で、兵が居た場所と思われます。
この郭の広さは約3,300m2を測り、主郭の3倍あります。建物の存在は不明です。

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周囲には低いですが、奥に虎口も見られます。

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遺構は不明瞭ながらも、縄張図を見て、地形を見ているとそのように見えてくるのが、不思議なものですね。

尚、この城は三木城ではなく、その反対の方向を向いています。西郭の先には明石道がありました。それは、三木城への補給路。その補給路を監視する付城。

まさに長期戦を睨んで兵糧攻めを意識した2期の付城でした。

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