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1358二位谷奥付城(兵庫県) [城印象記]

三木合戦付城めぐりの続きです。

二位谷奥付城(にいだにおくのつけじろ)と呼ばれるものは3つあります。まず、二位谷奥付城Cです。

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位置するのは丘陵状の斜面です。途中に駐車場があります。

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遺構の削平地を利用しているのかもしれません。その丘側には、土塁らしき盛り上がりを感じたりしましたが、果たしてどうでしょう。

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そこから150m程北上したところには二位谷奥付城Bがあります。

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ここも丘陵の途中に削平地と思われる場所がありました。

城の名残を感じることはできますが、構造などを読み取るのは無理ですね。

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地図と資料を確認しながら、丘陵上の小道を歩きます。

途中には二位谷土塁Aという遮蔽土塁もあります。藪でとても確認はできません。藪を踏み込んでも、起伏を確認するのは難しいでしょう。

しかし、藪ならば遺構が残っている可能性はあります。藪がきれいに無くなってしまうと、開発の手が伸び、更地になって遺構が消滅してしまうおそれもあります。そう考えると、薮状態も許せるでしょうか。

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丘陵上の小道を続けて歩きますが、実はこの道が本来あった道というか、旧道でして、この道を歩いて考察できたのはよかったです。

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旧道 義経みちの案内図

この道は古い白川街道といわれ、寿永3年(1184)820年程前に源平一の谷合戦の折、京都より三草を経て鵯越へ義経軍が通った道であると伝えられております。その街道の名残がこの道である。

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この旧道沿いに付城が並んでいます。

二位谷奥付城Bから北西400m程の地点、この丘陵の上の小道が、谷を走るきれいな新道と合流するあたりに二位谷奥付城Aがあります。

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資料本には「曲輪の周囲を完全に土塁が囲続し、土塁の高さも高く」と説明がありました。この付城たちは三木合戦3期のものになり、中でもこのAは三木城最前線のひとつになります。期待して訪れた付城でした。しかし、そこには何もありませんでした。

城を見にいって、何か遺構があっても何もないと言われることは多いのですが、ここは本当に何もありません。発掘調査はされたようですが、その後の開発で消滅したのでしょう。

残念です。

仕方ない事情もあることでしょうが。

その場の風景をカメラに収めて、さよならしました。

1358-06.jpg
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馬爺

今年一年ありがとうございました、今日で今年は終わりになります新年も5日から始めますのでまたよろしくお願い致します。
by 馬爺 (2017-12-29 12:09) 

しおかぜ

こんばんは(^ω^)
毎日更新されてるんですね。スマホだとちょっと見ずらいところ(広告)ありますがゆっくり拝見させてもらいます(´ω`)最近はお城行けてないので今度連れてって下さい。泊まりで行きたいですね(≧∇≦)
by しおかぜ (2017-12-29 22:47) 

くうくう

訪問ありがとうございます。
また来年もよろしくお願い致します。(^^)
by くうくう (2017-12-31 17:02) 

くうくう

しおかぜさん、こんにちは。お久しぶりです。
ブログはPCで作成し、PCで見ています。スマホでも見れることは知っていますが、スマホで見ること自体が辛いので(^^; 
またお城行きましょうね。
by くうくう (2018-01-02 06:39) 

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