1377猿ヶ城(愛知県) [城印象記]
愛知県豊田市(旧旭町)日下部町柿ノ入の猿ヶ城(日下部城)を紹介します。
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県道490号で弘法杉の地点を目指します。この道がけっこう隘路な峠道でした。うっすらと雪も積もっていたので緊張しましたが、でも宅配便のトラックとすれ違ったりしたので、それなりに主要道ではあります。
登城口です。東海自然歩道と交差した峠でもあり、看板が多いですね。
千人塚の説明板があります。
弘法杉の向かい、画像の左上に写っているのは、下にある公衆トイレです。
千人塚
武田信玄が、猿が城を攻めた時、この盆地一帯が戦場となりました。戦場の片端に討死した多くの諸将を葬った塚があり、これを「千人塚」と呼んでいます。
愛知県
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ただ肝心の千人塚がわかりませんでした。
お地蔵さんがあり、その近くには弘法杉があります。樹高25m、樹齢200年以上と説明がありました。巨樹・古木ではありますが、まだまだですかね、鑑賞に値する名木になるのは。
ここから南へ、東海自然歩道に添って歩きます。猿ヶ城までは、500m15分です。
東海自然歩道ですから、道は整備されています。猿ヶ城があるピークには高圧電線の鉄塔が建っており、いい目印にもなります。
猿ヶ城まであと100mの地点です。
少し平場になっており、休憩所にもなっています。この平場は、城の出曲輪だったのかもしれません。
あと少し、と言いながらもけっこうな階段です。ま、山城めぐりに、こんな階段はまれです。ここは、ハイキングと思って楽しみましょう。
主郭手前です。階段の踊り場になっているこの手前が腰曲輪です。
切岸の加減などはわかりにくいですが、左側などは、鉄塔の建つ主郭をめぐるように削平地が続くようです。
ピークに到着です。ここが主郭になります。
主郭は小さな削平地だったことだろうと推測されます。端っこに案内があります。
(「猿が城跡」と表記されています。)
遺構はないですが眺望はいいですね。北方面が開けています。
そのまま通り過ぎるように進むと、奥は細長い曲輪のようでした。尾根に堀切でもあって欲しいところですが、見当たりません。全体的に、自然地形っぽいようでもあり、東海自然歩道により平らに見えるのかな、とも思いました。
これは奥まで進み振返った写真です。
そこに、主郭のすぐ下に説明板があります。
紹介が最後になってしまいましたが、記します。
猿が城跡
猿が城は日下部(松井)佐渡守の居城と伝えられ、典型的な山城で室町時代に築城されました。本城のあった駒山から申(さる)の方向(南西)にあたるため、猿が城の名が付けられたといわれています。
元亀2年(1571年)武田信玄の西三河進攻で落城しました。城跡は送電線の鉄塔の付近です。
環境庁・愛知県
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ハイキングで楽しめる猿ヶ城でした。
より大きな地図で蔓草マップ を表示
県道490号で弘法杉の地点を目指します。この道がけっこう隘路な峠道でした。うっすらと雪も積もっていたので緊張しましたが、でも宅配便のトラックとすれ違ったりしたので、それなりに主要道ではあります。
登城口です。東海自然歩道と交差した峠でもあり、看板が多いですね。
千人塚の説明板があります。
弘法杉の向かい、画像の左上に写っているのは、下にある公衆トイレです。
千人塚
武田信玄が、猿が城を攻めた時、この盆地一帯が戦場となりました。戦場の片端に討死した多くの諸将を葬った塚があり、これを「千人塚」と呼んでいます。
愛知県
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ただ肝心の千人塚がわかりませんでした。
お地蔵さんがあり、その近くには弘法杉があります。樹高25m、樹齢200年以上と説明がありました。巨樹・古木ではありますが、まだまだですかね、鑑賞に値する名木になるのは。
ここから南へ、東海自然歩道に添って歩きます。猿ヶ城までは、500m15分です。
東海自然歩道ですから、道は整備されています。猿ヶ城があるピークには高圧電線の鉄塔が建っており、いい目印にもなります。
猿ヶ城まであと100mの地点です。
少し平場になっており、休憩所にもなっています。この平場は、城の出曲輪だったのかもしれません。
あと少し、と言いながらもけっこうな階段です。ま、山城めぐりに、こんな階段はまれです。ここは、ハイキングと思って楽しみましょう。
主郭手前です。階段の踊り場になっているこの手前が腰曲輪です。
切岸の加減などはわかりにくいですが、左側などは、鉄塔の建つ主郭をめぐるように削平地が続くようです。
ピークに到着です。ここが主郭になります。
主郭は小さな削平地だったことだろうと推測されます。端っこに案内があります。
(「猿が城跡」と表記されています。)
遺構はないですが眺望はいいですね。北方面が開けています。
そのまま通り過ぎるように進むと、奥は細長い曲輪のようでした。尾根に堀切でもあって欲しいところですが、見当たりません。全体的に、自然地形っぽいようでもあり、東海自然歩道により平らに見えるのかな、とも思いました。
これは奥まで進み振返った写真です。
そこに、主郭のすぐ下に説明板があります。
紹介が最後になってしまいましたが、記します。
猿が城跡
猿が城は日下部(松井)佐渡守の居城と伝えられ、典型的な山城で室町時代に築城されました。本城のあった駒山から申(さる)の方向(南西)にあたるため、猿が城の名が付けられたといわれています。
元亀2年(1571年)武田信玄の西三河進攻で落城しました。城跡は送電線の鉄塔の付近です。
環境庁・愛知県
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ハイキングで楽しめる猿ヶ城でした。
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