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1421紀州湯浅醤油香る町を歩く [重伝建を歩こう]

早朝、湯浅町の伝統的建造物群の保存地区を歩いてきた。

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湯浅町湯浅伝統的建造物群保存地区

 醸造町 平成18年12月19日 重要伝統的建造物群保存地区選定

□醸造の香りに生きる町

 湯浅は、平安時代末期頃から熊野参詣における宿所の役割を果たすなど、陸運・海運の要衝であり、商工業や漁業で栄えてきました。中でも鎌倉時代に中国から伝わった「金山寺味噌」の製造過程から生まれたといわれる醤油の醸造は、江戸時代に入ると紀州藩の保護を受けて販路が拡張され、湯浅の代表的な産業として発展しました。
 保存地区は、熊野街道西方の浜辺に16世紀末頃開かれたといわれる北町、鍛冶町、中町、濱町の醤油醸造業が最も盛んであった一帯にあって、醸造業関連の町家や土蔵など近世から近代にかけての伝統的な建造物がよく残されている地区です。建物は、古いものは低い2階建て切妻造平入、本瓦葺を伝統とします。4本の「通り」を軸に「小路(しょうじ)」と呼ばれるいくつもの細い道が面的に広がる町並みには、今も昔ながらの伝統製法による醤油の芳香が漂っています。

    湯浅町教育委員会

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宿場町ではないので街道の味わいは感じられなかったが、町屋や土蔵など古めかしい、ちょっと感じのいい建物が並ぶ。

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醸造屋の看板も江戸期からの風情がある。

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観光客でにぎわう様子も悪くはないが、静かな町もいい。朝の散歩は、それがいい。カメラ片手に味わった。

山田川のほとりに出る。大仙堀だ。

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   大仙堀

 平安時代の頃から海運の要衝であった湯浅は、湯浅広港を擁する港町として栄えた。
 大仙堀は湯浅湾に注ぐ山田川(北川)河口に設けられた内港で、築造年代は江戸時代と考えられる。「しょうゆ堀」とも呼ばれ、醤油やその原材料の積み下ろしで賑わいをみせた。醤油醸造から直接小船に積み込まれた醤油は、沖に停泊している大型船に積み替えられ、樽の中で海路を揺られながら紀州藩を後に各地へと出荷されていった。
 大正四年、湯浅に有田鉄道が開通すると港湾の積荷を鉄道で運ぶようになり、貨物専用の「海岸駅」の線路が大仙堀の埠頭の端まで架けられた。
 昭和十九年に線路が撤去されてのち東側の船泊場が埋めたてられ、昭和三十~四十年代には鉄道跡が道路となり、浜も埋め立てられて現在に至っている。
 湯浅広港周辺は時代とともにその姿を変えてきたが、今も石積みの護岸に醤油蔵が立ち並ぶ大仙堀の景観は、港町に栄えた醤油醸造文化の歴史を今日によく伝えている。

      湯浅町教育委員会

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山田川河口には現在の港らしく船が泊まっていた。

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