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1452三ツ木城 [岡崎の城をめぐる]

岡崎市上三ツ木町城堀。


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三ツ木といえば三ツ木松平の所縁の地。

三ツ木松平初代信孝は松平6代信忠の子。7代清康の弟、8代広忠の叔父になる。一時は宗家の勢力を上回る力を持ち、家臣団から危険人物と見なされ追放された。

今でこそ、清康-広忠-家康であり、岡崎城、であるのだが、中世の戦乱時代、松平党の内での厳しい勢力争いがあったのだろうか。

三ツ木にどんな城があったのだろう。中世の居館を想像する。

今は何もない。少し前はここらに大きなお家があったが、今は更地になっている。あたり一帯は農地で、平らな土地が広がるばかりだ。

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1449中島陣屋 [岡崎の城をめぐる]

岡崎市中島町薬師。


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県道43号線沿い、ここを曲がって進むと八幡社がある手前のあたりが、中島陣屋の跡地らしい。今は痕跡も何もないからただの街角の景色なのだが、明治2年まで所在した陣屋なのだから、間違いは無かろう。

以前はこの角地に常夜灯があった。今はゴミステーションのようだ。

小笠原筑後守の陣屋で3000石を領していた。

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1440足利義氏邸 [岡崎の城をめぐる]

岡崎市明大寺本町。


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明大寺には、こうひとつ古城があり、それがこちら足利義氏邸。

守護代西郷氏の明大寺古城より更に古いもので、承久の乱(1221年)の功績で三河守護職となった足利義氏の居館があったといわれる。

萬徳寺のあたりだそうだ。

お寺が経営しているのだろうか、明徳保育園が境内にあって、子供の声が響いていた。

暖かな日差し。遺構を偲ぶものは何もないけど、ここもその昔を偲ぶ故地のひとつである。

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1439明大寺古城 [岡崎の城をめぐる]

岡崎市上明大寺町。


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岡崎の城をめぐるシリーズもなかなか進まない。当初はこのシリーズが終わったら、どうしようかと考えていたが、ついに蔓草満了までには半分も終わらなかった。

同じ市内であり、一度は行ったところばかりなのであるが、せっかくなら新しく写真を撮って記事にまとめたい、その思いが、かえってスムーズな進行を止めたのだろう。

まあ、仕方ないことだったけど、シリーズの完成は、今後のブログ継続時の宿題だね。まあ、息長く頑張っていくことにしたい。

さて、そんな岡崎の城から、今回は明大寺古城。

明大寺村古城とも平岩城ともいわれ、三河守護代の西郷氏が築いたと言う。

伝承では永享年間(1429-41)というから、康正元年(1455)に完成した岡崎城の前身として菅生川南岸に築かれた城だ。北方から勢力を伸ばしている松平氏に対応しての城ということであるが、いかばかりのものであっただろうか。

遺構も何もなく、このあたりだろうと言われているのが、六所神社の北あたり。

ここは六所さんの鳥居があり、ちょっとした高台で、整地されているので、何か雰囲気あるなあと思って写真を撮った。

何もはっきりしないが、ただ岡崎の歴史の中で重要な場所だったことだけは間違いないと思っている。

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1086滝城 [岡崎の城をめぐる]

岡崎市滝町。


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滝に中世城があった。滝脇松平の3代乗孝が築城し、その子乗吉が居城としたらしい。詳細はわからない。

滝には滝山寺という古刹がある。天武天皇の御世に創建された1300年の歴史を刻む、かつての大寺院である。滝山寺のある地域に、中世城などが入り込む余地があったのかと、ちょっといぶかしく思う。

天台宗の寺だから、比叡山みたいに武装化していたのだろうか。用心棒的に付近に城を築いたのだろうか。それを、松平氏の庶流である滝脇松平3代乗孝が買って出たというところなのか、そんなふうに想像してみた。

ある話によると、手前の青木川の向こうの日陰地区に滝城はあったらしい。滝脇松平の城も(別の)日陰町にあるから、同じ日陰の地名で、ひょっとするとそうかもと思った。

ただ、城の遺構も雰囲気も何も残ってない。

かつての大寺院も今はわずかな建物があるばかりだ。

国の重要文化財に指定されている本堂。県内最古の建物だ。

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近くには5代将軍綱吉寄進の鐘堂がある。

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また隣接して滝山東照宮がある。小さな社ではあるが、3大東照宮に数えられる。

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そして、少し離れたところに三門がある。

城からは離れるが、伝統文化を感じるよいところである。

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1078上和田城 [岡崎の城をめぐる]

岡崎市上和田町南屋敷。


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住宅地の片隅に碑がある。

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「和田城用心壕跡」とある。このあたりに上和田城があって、堀跡があったのだろう。しかし、今は偲ぶ痕跡は何も感じられない。

そもそも、この碑がどういう謂れで建てられたのかもわからない。民家の庭の片隅にあって、写真はちょっと撮り難い。

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上和田は大久保一族の所縁の地である。関東から三河国上和田に土着し、その後宇津氏、大久保氏と改姓した。松平氏を古くから支えた一族のひとつだ。

近くの上和田公民館には大久保一族発祥の地を示す大きな碑がある。

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この地で、大久保忠俊、大久保忠世、大久保忠隣らが生まれ活躍した。

あの彦左衛門で有名な大久保忠教もこの地で生まれた。

ここの南に妙国寺という大久保氏の菩提寺がある。



氏祖と伝わる宇都宮泰藤の墓がある。

大久保党の熱い声が響き合うようだ。

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1069法性寺城 [岡崎の城をめぐる]

岡崎市法性寺町上屋敷。


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岡崎市史には法性寺村古屋敷という城館があり八田森右衛門が領していたことが記されている。中世の館城があったことだろう。

ただ場所や詳細はわからない。法性寺(地名)なら法性寺(寺)だろうということで法性寺を訪れた。

法性寺は平安中期、長和5(1026)年に天台座主であった暹賀(せんが)が創建し、中世には七堂伽藍と一山六坊があり大変な勢力で、和田山法性寺の号が地名にもなった、ということである。

そして、その内の大日堂にあたるのが、今残るお寺となった。

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そこに、館城がどう絡んでくるのかは、もう空想の話でしかない。

お寺もごく普通サイズ。それでも伝教大師の「一隅を照す此れ則ち国宝なり」の言葉が刻まれ、天台宗のお寺なんだと思ったが、盛時の面影はない。

お城の遺構や痕跡も感じられるものはない。

でも、法性寺町の法性寺たる由縁の法性寺を訪ね、往時を偲ぶのであった。

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1048宮石城 [岡崎の城をめぐる]

岡崎市宮石町小屋野。


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案内は何もない。だからわかり難いかもしれない。市内方面から行くと県道338号を鋭角に曲がる小道がある。そこを登る。

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そこが私有地なのかもしれないが、空地になっている隅に車は停めさせてもらった。

2階屋の新しいが人気のない建物があり、その向かいあたりから登る。

以前訪れた時は、もっときれいになっていたが今は荒れていた。

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その道を少し登った右手が宮石城だ。地図で見ると尾根の突端部分になる。

あまり城らしくはない。

削平地になっている。曲輪だったのだろう。

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しかし、ここは碑や案内がいっぱいある。

まずは一番奥にある城址碑。

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石灯籠と井戸。

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石灯籠には、何やら宮石松平のことが記されている。

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井戸の石の囲いは、整備した時に置かれたとは思うが、往時もこんな感じだったのだろう。のぞいてみると、井戸の石垣が残り、水もあるようだった。

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宮石松平のことを記したもの。

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磯谷家由緒碑、その裏面には系図も示されている。

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これら一連の整備は磯谷さんの手でおこなわれたようだ。

しかし、磯谷家由緒碑がありながら、宮石松平家とどう繋がりがあるのかわからない。隔靴掻痒の思い。

多分、子孫の方なんだろう。松平から磯谷へと変わったことは、歴史の表舞台の出来事ではない、または、はっきりとわからないので記載を遠慮したのだろうか。

そして今、荒れ果てたままになっているのは、どうしてなのだろう。

気がかりで、もう少しそのあたりがわかれば、と思うのであった。

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1038大河内城 [岡崎の城をめぐる]

岡崎市大平町大河内。


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「三河名勝志」に「大平の北・大河内に古城跡あり」とあって、大河内金兵衛の居城があったと伝えられている。が、詳細は不明だ。

東名高速道路のインターチェンジ付近ということだが、おそらくその工事で、名残りみたいな痕跡も全部失われてしまったのだろう。

地図を見ると大河内の地名があり、感動する。多分、ここらが大河内城と思って写真を撮る。なんだかバカげた行為にも思えるが、ただの景色が、厚みをもって感じられる。地元への愛着が増すというものだ。

詳細不明の城を追うのも、まあ、それなりに楽しいものだ。

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1013土井城 [岡崎の城をめぐる]

岡崎市土井町城屋敷。


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マークしたのはこちらです。

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土井城城主本多秀清と早乙女一族の墓があります。かつては田んぼの中にあったような覚えがありますが、まわりはすっかり宅地化されてしまいました。

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  土井城主本多豊後守秀清公廟所

 本多秀清は、松平長親に仕え、功あって明応6年(1497)、碧海郡土井村を賜ります。同7年9月に没していますが、清重・信重・広孝と続く家系が本多豊後守家です。
 信重の時、この地に城を築き、周りに堀を巡らしました。秀清より清重・信重になって松平信忠・清康によく仕え、信重は、吉田城攻めの時、23歳で御油の縄手で討ち死にしました。その子弘孝は、(松平広忠から広の字を賜りました。)吉良東条城攻めに敵将を討ち取り、一向一揆の時には、土井城を守り、永禄7年(1564)の田原城攻めに戦功を立て、そこの城主となり、土井城を離れました。この間本多家は、66年間、土井城主として土井の地を守りました。以後、掛川の戦い、姉川の戦い、三方原の戦い、長篠の戦い、高天神城攻め、小牧長久手の戦いに活躍しました。その子康秀は、土井の城で生まれ、16歳の時から父に従い、小田原城攻めの功により上州白井2万石の城主となり、慶長6年(1601)、岡崎城主となります。以後、康紀・忠利と3代44年続きます。

  早乙女一族の墓

 この墓は、土井利勝の先祖である早乙女一族の墓であるといわれています。
 土井利勝は、元亀4年(1573)、遠江国浜松に生まれ、幼少時代を土井で過ごします。数え年3歳の時、初めて主君家康の対面を許され、家康より「土井松次郎」を名乗るよう直々に命じられます。その後、秀忠が生まれると7歳にして子守役となります。
 家康・秀忠・家光の三代に仕え、下総国古河16万石城主になり、幕府の大老職に登りつめます。江戸幕府の基礎を築き、幕藩体制の確立に貢献しました。寛永21年(1644)、71歳で亡くなりました。

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その本多秀清の墓がこちらです。

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その左横後ろには早乙女一族の墓です。

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このあたりもお城の一角だったかもしれませんが、土井城は特に遺構などは残っていません。

依然は、少しの高台と周りがお堀の跡らしい深田になっていました。

城屋敷にあるこちらの左のお宅が城跡ということです。

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そして、もう一ヶ所、居館跡と伝わるのが西番城あたりです。新しくできた土井公園の斜め向かいです。今は宅地で、全くそれらしくはないのですが。

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城屋敷の城とどんな関係であったのか、よくわかりません。

本多の家も平八郎忠勝の系統、正信正純の系統、作左衛門重次の系統などとあって混乱しそうですが、それぞれ別家で親戚でもないようです。しかし、ここからでた本多康秀が初代岡崎藩主となるわけで、それを思うと少し感慨深いものがあります。

この地で育った土井利勝が、土井城でどうしていたのかもわかりません。しかし、土井利勝は異例の出世をします。

そんな土井利勝を顕彰してか、社宮司社には土井氏発蹟地の碑があります。

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