1339廣金寺の扁額(和歌山県西牟婁郡白浜町) [扁額]
和歌山県西牟婁郡白浜町塩野の廣金寺です。
薬師寺といった方がわかりやすいのかもしれません。ここには県指定文化財の平安時代後期作の如来形坐像があるそうです。
ここへは安宅勝山城へ行く途中たまたま寄りました。
安宅勝山城から眺めおろす安宅の里です。
ここの岩盤堀切、しかも五重堀切と連なる様子は圧巻でした。
そんな安宅勝山城のふもとになります。
一生懸命書いているけど、ちょっと冴えない書です。中途半端に媚びているような、なんとも言えない、田舎具合を感じたりします。(失礼)
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薬師寺といった方がわかりやすいのかもしれません。ここには県指定文化財の平安時代後期作の如来形坐像があるそうです。
ここへは安宅勝山城へ行く途中たまたま寄りました。
安宅勝山城から眺めおろす安宅の里です。
ここの岩盤堀切、しかも五重堀切と連なる様子は圧巻でした。
そんな安宅勝山城のふもとになります。
一生懸命書いているけど、ちょっと冴えない書です。中途半端に媚びているような、なんとも言えない、田舎具合を感じたりします。(失礼)
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1338慈光院の扁額(長野県塩尻市) [扁額]
長野県塩尻市上西条の慈光院です。
その後ろの山は飯縄城になっています。そのふもとに、居館と慈光院があります。
慈光院の東にある居館です。一直線に堀のような遺構がありましたが、全体的にどんな具合になっているかは、よくわかりませんでした。
扁額は赤い字で認められていました。
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その後ろの山は飯縄城になっています。そのふもとに、居館と慈光院があります。
慈光院の東にある居館です。一直線に堀のような遺構がありましたが、全体的にどんな具合になっているかは、よくわかりませんでした。
扁額は赤い字で認められていました。
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1337吉祥寺の扁額(東京都西多摩郡檜原村) [扁額]
東京都西多摩郡檜原村にある吉祥寺です。
こちらの背後には檜原城があります。見上げる山は急峻です。
長大な竪堀が印象的な城でした。
そのふもとの大光山吉祥寺です。扁額は力みない爽やかな書があがっていました。
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こちらの背後には檜原城があります。見上げる山は急峻です。
長大な竪堀が印象的な城でした。
そのふもとの大光山吉祥寺です。扁額は力みない爽やかな書があがっていました。
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1336浄福寺の扁額(東京都八王子市) [扁額]
東京都八王子市下恩方町にある浄福寺です。
その背後には標高356mの尾根を利用した中世山城の浄福寺城があります。
その縄張図付の案内板などがあります。
本堂の扁額です。よい字ですねえ。
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その背後には標高356mの尾根を利用した中世山城の浄福寺城があります。
その縄張図付の案内板などがあります。
本堂の扁額です。よい字ですねえ。
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1335海禅寺の扁額(東京都青梅市) [扁額]
東京都青梅市二俣尾にある海禅寺です。
三田氏の菩提寺となっていたお寺です。この裏山が辛垣城です。
三田氏の供養塔がありました。
江戸時代初期の建立と伝わる山門は見事です。
本堂には「海禅寺」と扁額がありますが、こちらは山号の「瑞龍山」があがっています。勢いのある力強い書です。
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三田氏の菩提寺となっていたお寺です。この裏山が辛垣城です。
三田氏の供養塔がありました。
江戸時代初期の建立と伝わる山門は見事です。
本堂には「海禅寺」と扁額がありますが、こちらは山号の「瑞龍山」があがっています。勢いのある力強い書です。
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1334大輪寺の扁額(山梨県韮崎市) [扁額]
山梨県韮崎市旭町上条北割にある大輪寺です。
甘利山大輪寺は日蓮宗のお寺で、甲斐源氏の一族で武田氏の重臣としても有名な甘利氏の菩提寺になります。
というのも、ここに甘利氏の居館があったと言われています。
「甘利君遺徳碑」があります。
扁額は誰の字でしょうか。力強い書となっています。
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甘利山大輪寺は日蓮宗のお寺で、甲斐源氏の一族で武田氏の重臣としても有名な甘利氏の菩提寺になります。
というのも、ここに甘利氏の居館があったと言われています。
「甘利君遺徳碑」があります。
扁額は誰の字でしょうか。力強い書となっています。
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1333大宮神社の扁額(愛知県東海市) [扁額]
愛知県東海市大田町上浜田にある大宮神社です。
ごくありふれた地域の神社です。
ただこの神社には大田の大樟と呼ばれる巨樹があります。
樹齢1000年以上と伝わる立派なものです。
それからすると扁額は新しいものですが、気合いの入った揮毫です。
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ごくありふれた地域の神社です。
ただこの神社には大田の大樟と呼ばれる巨樹があります。
樹齢1000年以上と伝わる立派なものです。
それからすると扁額は新しいものですが、気合いの入った揮毫です。
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1329海尻山医王院の扁額(長野県南佐久郡南牧村) [扁額]
長野県南佐久郡南牧村海尻にある海尻山医王院(かいこうさんいおういん)です。
海尻城のふもとにあり、ここから海尻城へも行けます。
海尻城がお目当てですが、まず心鎮めて医王院へお参りします。
まず本堂の手前左にある観音堂です。
そして、その扁額です。
正面奥の本堂です。
昭和49(1974)年に再建された、木造入母屋瓦葺きの建物です。
扁額です。力の入った書に感じ入りました。
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海尻城のふもとにあり、ここから海尻城へも行けます。
海尻城がお目当てですが、まず心鎮めて医王院へお参りします。
まず本堂の手前左にある観音堂です。
そして、その扁額です。
正面奥の本堂です。
昭和49(1974)年に再建された、木造入母屋瓦葺きの建物です。
扁額です。力の入った書に感じ入りました。
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1326津金学校の扁額(山梨県北杜市) [扁額]
山梨県北杜市須玉町下津金にある津金学校です。
1310おいしい学校の給食
http://mikawanokami.blog.so-net.ne.jp/2017-11-11
1311おいしい学校の香りの湯
http://mikawanokami.blog.so-net.ne.jp/2017-11-12
これらの以前紹介したおいしい学校はこちらの昭和校舎になります。
ここには明治・大正・昭和の三代の校舎が並んでいます。いちばん真ん中の大きいのが大正校舎です。
そして、その向って右隣に明治校舎です。
こちらの校舎は味があります。明治・大正・昭和の時代を写すような校舎で、見比べていると、その精神性など考えさせられるものがありますよね。
明治校舎は県の文化財にも指定されているようです。
そしてその扁額も素敵なものでした。新しく作られたものですが、いい字ですね。これはコレクションとして外せない扁額だと思いました。
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1310おいしい学校の給食
http://mikawanokami.blog.so-net.ne.jp/2017-11-11
1311おいしい学校の香りの湯
http://mikawanokami.blog.so-net.ne.jp/2017-11-12
これらの以前紹介したおいしい学校はこちらの昭和校舎になります。
ここには明治・大正・昭和の三代の校舎が並んでいます。いちばん真ん中の大きいのが大正校舎です。
そして、その向って右隣に明治校舎です。
こちらの校舎は味があります。明治・大正・昭和の時代を写すような校舎で、見比べていると、その精神性など考えさせられるものがありますよね。
明治校舎は県の文化財にも指定されているようです。
そしてその扁額も素敵なものでした。新しく作られたものですが、いい字ですね。これはコレクションとして外せない扁額だと思いました。
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1306明白院の扁額(東京都青梅市) [扁額]
東京都青梅市日向和田にある明白院です。
ここは、楯の城の移築門を見に訪れました。こちらが以前書いた記事です。
0694楯の城移築門-明白院山門
http://mikawanokami.blog.so-net.ne.jp/2016-03-05
記事が被ってしまってすいません。
山門の案内にお寺の紹介があるので引用します。
本寺は日向山と号し、本尊は勝軍地蔵である。天正年間(1573-1592)天江東岳を開山として、勝沼城主三田氏の遺臣野口刑部丞秀房を開基として創立された。
------------------------------------------------------------
禅宗曹洞派のお寺です。
扁額の文字は「願王殿」と書かれていると思いますが、由来など意味はよくわかりません。左の署名に「永平~」とあるのは永平寺との何か関係なのでしょうか。残念ながら、それもよくわかりません。
頭の中で筆運びをイメージして、文字を楽しむのみですが、そのひと時が私は好きです。
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ここは、楯の城の移築門を見に訪れました。こちらが以前書いた記事です。
0694楯の城移築門-明白院山門
http://mikawanokami.blog.so-net.ne.jp/2016-03-05
記事が被ってしまってすいません。
山門の案内にお寺の紹介があるので引用します。
本寺は日向山と号し、本尊は勝軍地蔵である。天正年間(1573-1592)天江東岳を開山として、勝沼城主三田氏の遺臣野口刑部丞秀房を開基として創立された。
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禅宗曹洞派のお寺です。
扁額の文字は「願王殿」と書かれていると思いますが、由来など意味はよくわかりません。左の署名に「永平~」とあるのは永平寺との何か関係なのでしょうか。残念ながら、それもよくわかりません。
頭の中で筆運びをイメージして、文字を楽しむのみですが、そのひと時が私は好きです。
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