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1442ネット読みはブログとTwitter

ネット読みでは、相変わらずブログとTwitterが中心になっている。

ブログは自分の記事を最初に nice! を渡り歩いていろいろ方の記事を見ている。拾い読みというところ、いわゆるネットサーフィンに近い。気ままに楽しんでいるのはいいが、これだと so-net のものしか読めないのが困る。また中には nice! など付けない人もいる。そうすると、なかなかその人の記事を読む機会が出来てこない。これまた、不都合だ。

feedlyを使用していた時は、お気に入りのサイトを中心に、かかさず読み込んでいた。だから、勉強している情報をチェックしている、そんな色合いが強かったが、今の方式になってから、楽しいことは楽しいが、あまり学んでいるという色合いはなくなった。

もう少しほどほどに、読めないものかと思うが、難しいものだ。

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Twitterは逆に変わらず、フォローしている人たちのタイムライン読みである。逐一読む。こうしてじっくりお付き合いするのが、楽しい。未読が増えて、なかなか追いつかず、苦しい思いで読んでいることも多いが、継続して読んでいるから面白いと思っている。

Twitterを拾い読みしたら、ちょっと面白みに欠ける気もするがどうだろう。

どんどんフォローも増やして、結果、フォロワーも増やして、と思わないこともないが、ちょっと、それはどうかと戸惑っている。

ネットの読み方もいろいろと難しい。

でも、今はいっそのことネットをお休みにしたくもある。ブログが満了するからだろうか。しかし、しばらくは沈黙ってのもしてみたいものだ。

そしたら、何か起こるかもしれないし。

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1441夕暮れ時に

なんでこんなに忙しいんだろ。このところの嘆きである。

年度末である。いろいろ予算やら来年度の計画やら、話し合いが多い。同好会やら、お祭りやら、町内のことやら、地域のことやら、何だかいろいろなことに首をつっこんで、責任者をやらせられている。まあ、そう問題のあるものはないから、顔出して、うんうん頷いていれば、片付いてしまうのかもしれないけど、気忙しい。

たまに、ちょっと躓こうものなら、とたんにやっかいになってしまうから、とにかく無事を祈りたいけど、ついつい慌てるといいことはない。

で、丁寧に丁寧にと思うと時間を食う。やっぱり、簡単なようでやっかいだ。

あれもこれもと打合せの時間が入る。時間ばっかりとられる。

時間が無くなると、ものごとに消極的になる。あれもこれも、ことわりたくなる。ちょっと、意地の悪い言葉を吐いてみたくなる。ああ、そんな自分が嫌だ。

自由になりたい。一人になりたい。

夕暮れ時にそう思う。休みが終わってゆくなあ。

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1440足利義氏邸 [岡崎の城をめぐる]

岡崎市明大寺本町。


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明大寺には、こうひとつ古城があり、それがこちら足利義氏邸。

守護代西郷氏の明大寺古城より更に古いもので、承久の乱(1221年)の功績で三河守護職となった足利義氏の居館があったといわれる。

萬徳寺のあたりだそうだ。

お寺が経営しているのだろうか、明徳保育園が境内にあって、子供の声が響いていた。

暖かな日差し。遺構を偲ぶものは何もないけど、ここもその昔を偲ぶ故地のひとつである。

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1439明大寺古城 [岡崎の城をめぐる]

岡崎市上明大寺町。


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岡崎の城をめぐるシリーズもなかなか進まない。当初はこのシリーズが終わったら、どうしようかと考えていたが、ついに蔓草満了までには半分も終わらなかった。

同じ市内であり、一度は行ったところばかりなのであるが、せっかくなら新しく写真を撮って記事にまとめたい、その思いが、かえってスムーズな進行を止めたのだろう。

まあ、仕方ないことだったけど、シリーズの完成は、今後のブログ継続時の宿題だね。まあ、息長く頑張っていくことにしたい。

さて、そんな岡崎の城から、今回は明大寺古城。

明大寺村古城とも平岩城ともいわれ、三河守護代の西郷氏が築いたと言う。

伝承では永享年間(1429-41)というから、康正元年(1455)に完成した岡崎城の前身として菅生川南岸に築かれた城だ。北方から勢力を伸ばしている松平氏に対応しての城ということであるが、いかばかりのものであっただろうか。

遺構も何もなく、このあたりだろうと言われているのが、六所神社の北あたり。

ここは六所さんの鳥居があり、ちょっとした高台で、整地されているので、何か雰囲気あるなあと思って写真を撮った。

何もはっきりしないが、ただ岡崎の歴史の中で重要な場所だったことだけは間違いないと思っている。

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1438出雲大社の扁額(島根県出雲市) [扁額]

島根県出雲市大社町杵築東の出雲大社です。

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拝殿です。太い注連縄が特徴的です。

8月のお盆休みに行きましたが、人がいっぱいでした。

こちらは神楽殿です。

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ここに扁額がありました。流れがある中で整った書です。いいですね。

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1437松江神社の扁額(島根県松江市) [扁額]

島根県松江市殿町の松江神社です。松江城にあります。

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 松江神社(島根県神社庁指定特別神社)

 御祭神 松平直政公(松平初代藩主) 堀尾吉晴公(松江開府の祖)
     松平治郷(不昧)公(第7代藩主) 徳川家康公

 明治10年に旧松江潘の人々によって、川津村(現松江市西河津町)楽山に松平直政公を御祭神として楽山神社が創建されましたが寛永5年(1628年)堀尾忠晴公朝酌村西尾(現松江市西尾町)に創建した東照宮を明治32年に合祀し当地に御遷座松江神社と改称されました。
 又昭和6年に
 松江開府の祖 堀尾吉晴公
 松江藩中興の名主・不昧流茶道始祖松平治郷(不昧)公を配祀し今日に至っております。
 本殿は寛永5年(1628年)、拝殿は寛文元年(1661年)建造の権現造り、手水舎は寛永16年(1639年)建設されたものです。

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松江城に所縁ある方々を祀った神社です。建屋は17世紀前半に建てられたようですが、でも、神社はいつ、どこではじまったのか、読めば読むほどよくわからない説明文ですね。寛永5年に建てられた本殿は、まだ松江神社ではなかったようですし。

ま、ともかく、落ち着いた、よい神社でしたよ。

木の造り、いい感じです。

そして、扁額も味のある佇まいでした。誰の揮毫なんだろう。4人の御祭神の誰かだったらいいのに、と思って眺めていました。

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1436千本浜井上靖の文学碑

沼津の千本浜公園に立ち寄りました。入口近くの若山牧水の文学碑を見て、もうひとつ、井上靖の文学碑を探します。

案内があるからわからなくはないと思いますが、ちょっとわかりにくい場所にあります。松林のなかに、新しいモダンな文学碑でした。

碑と像と、手前の石板には井上さんの作品が名を連ねていました。

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実は、私は、井上さんの愛読者です。

自伝的な3部作「しろばんば」「夏草冬濤」「北の海」と、大作にもかかわらず、何度も読んだものです。

そして、沼津といえば「夏草冬濤」でしょう。成績優秀だった洪作が魅力的な仲間と出会い文学へと傾倒していく旧制沼津中学生3~4年生頃を描いた青春小説。夢中になりました。

そんな私からすれば、千本浜にある井上さんの文学碑は、感激ひとしおのものです。

 千個の海のかけらが
 千本の松の間に
 挟まっていた
 少年の日
 私は 毎日
 それを一つずつ
 食べて育った

     井上靖

文学からは遠く離れてしまいましたが、昔の感動が蘇るようでした。

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1435千本浜若山牧水の文学碑

沼津の千本浜公園に立ち寄りました。ここには、是非見ておきたい文学碑が二つあります。そのうちのひとつ、若山牧水の文学碑です。

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  若山牧水歌碑

 幾山河
  こえさりゆかば
   寂しさのはてなむ国ぞ
    けふも旅ゆく
         牧水

 歌人若山牧水(本名繁)は、明治18年(1885年)宮崎県に生まれた、旧制延岡中学時代から短歌に親しみ、早稲田大学在学中に中国路を旅し、この「幾山河」の歌を作った。
 24歳のときに出版した歌集「別離」が歌壇に認められ一躍世に出た牧水は、大正9年(1920)夏、一家を挙げて沼津に移住した。
 その後、千本松原の景観に魅せられ、この松原にほど近い地に新居を構えた、旅と自然に親しみ、酒をこよなく愛した牧水は調べの美しい多くの名歌を残し、昭和3年(1928)9月17日43歳で永眠した。
 墓所はこの近くの千本浜乗運寺にある。
 この歌碑は全国で最初の牧水歌碑として昭和4年7月に建設された。

                           沼津市

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この歌は有名ですよね。

沼津千本浜を愛した歌人として、しっかり記憶しています。というのも、次に紹介する予定の方の作品からの影響なんですが。

牧水の数ある歌碑の一番最初のもの、という説明に当然そうあるべきだと思うのでした。

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1434残りもわずかになってきました

ブログの容量が976MBとなった。1000MBまであと24MBである。1400回の時に、「ログ開設4周年(4/12)は迎えれても、1500回(5/20)は難しそうだ」と予想したが、今日を入れて29記事を書かないと4/12まで埋まらないことを考えると、このペースで行って満4周年を投了するのは難しいような情勢になった。

ここまで来たのだから、満4周年投了を狙いたいなとは思うが、どうなることであろうか。

今気になることと言えば、ブログランキング。旅行のテーマで10位にランキングされている。ここしばらく10位のようだが、ランキングとしては今までの最高で、どうせなら、もうちょっとあがらないかな。8位以内に入ると、最初のブログランキングに表示されるようだから。少しづつアクセス数が増えてきたが、でももう、終わりとなると、かなわぬ夢か。

もちろん、と言うか、一応休養期間を入れて、この So-net でブログは続けていこうと思っている。「蔓草2」でいくつもりである。そのかなわぬ夢を追うことになるのかな。

でも、夢はあるけど、気持ちとしては、もう少しゆったり進めたい。毎日書くというのはけっこう辛かった。何も、強制したわけでもなかったのだが、何となくそんな成り行きになってしまった。その緊張がよかったこともあるし、よくなかったこともある。ちょっと今は苦しい。早く解放されたい。

GWには今年も遠征に出ようと思っている。そうした、旅立ち前や旅行中のブログには苦労してきた。そういったことから解放されるのか、という安心感。

心が自由になるようだ。

今は、残りを全力で駆け抜けたい。

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1433隣松寺の扁額(愛知県豊田市) [扁額]

愛知県豊田市幸町にある隣松寺です。

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この本堂は寛文年間(1661-73)に再建されたものだそうですが、お寺の歴史は更に深く、承和10年(843)に仁明天王が東山親王国長公(淳和天皇第3皇子)追善のため創建されたそうです。

ここには細川氏3代の墓などがあります。
(初代義季・初代弟義宗・2代俊氏・3代公頼)

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また徳川氏との関係も深く、家康公四男松平忠吉の墓もあります。

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扁額を揮毫されたのは本山知恩寺の方です。

身近なところに、まだまだ知らない歴史が埋もれているんだなあと感じた隣松寺でした。

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