0941真岡専修寺
真岡の専修寺に行ってきました。実はうちの宗旨が浄土真宗の高田派で、その本寺になります。と言って関係がある訳でもなく、特にそのことは気付いていませんでした。父がなくなり、葬儀やらお年忌やら勤めているうちに、そのことを知り一度訪ねてみたいと思うようになり、やっと実現しました。
門前に来た時は、やっと来た、そう思いました。
専修寺の説明があります。
史跡専修(せんじゅ)寺境内
真岡市高田1482番地
境内面積464アール(14036坪)
昭和42年7月6日 国指定
親鸞は承元元年(1207)法難にあって越後国に配流されたが5年ののち罪を許されて関東に入り常陸国稲田に滞在布教の為この地に巡錫されたとき大内氏一族の懇請によって一宇が作られたのが専修寺の始まりと伝えられている。信州善光寺感得の一光三尊仏を本尊としのち真仏(2代)さらに顕知(3代)にうけつがれ東国における初期真宗教団の根本道場として隆盛をみるに至った。寛正6年(1465)真慧(10代)は伊勢一身田に専修寺をつくり本山としたので以来この土地は下野国旧本山と称されるようになった。御影堂如来堂等その大半は江戸時代の再建にかかるものである。後堀河天皇(第86代)勅願所としても世に知られている。
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今回は史跡として専修寺を紹介したいと思います。
門前には親鸞聖人お手植えと言われる欅の木があります。しっかりと根を張った大きな木です。
そして総門があります。
茅葺の素朴な薬医門です。草創当初から残っていると伝えられるもので国の重要文化財となっています。
通り抜けてまっすぐ進んだところに山門があります。この立派な楼門は、元禄年間(1688-1703)の建築で、これも国の重要文化財になります。
「高田山」の扁額です。公猷親王の筆になります。
そして、その軸線上の奥にあるのが釈迦堂です。延享元年(1744)に再建されたもので、建造物としてはとても立派に感じました。こちらも国の重要文化財になります。
ここに秘仏である一光三尊仏が安置されています。17年に一度ご開帳されるそうです。機会があれば拝んでみたいものです。
この如来堂の礎石です。この石は建立当時のものと伝えられています。大きな自然石が使われています。
山門から右手奥には御影堂があります。親鸞聖人を祀る建物で、本堂というべきものでしょうか。寛保3年(1743)に再建されています。国の重要文化財になります。
内には「見真」の大きな額が飾られています。これは親鸞聖人の諡号が「見真大師」ということからきています。
須弥壇には親鸞聖人の「等身大の御影」と呼ばれる座像木像があるということでしたが、拝見できませんでした。
同じく左右に安置される真仏上人・顕智上人の座像(重文)も拝見できませんでした。
しかし、私ひとりきりで、静かな時間を過ごしました。
心やすらぐものがあります。
境内にはまだお堂や建造物があります。
こちらは鐘楼です。
こちらは太子堂です。
南無仏太子像という聖徳太子2歳のお姿をあらわした木像が(今は本寺御殿に)安置されています。
こちらは鼓楼です。
寺務所になっている庫裏です。茅葺で、小屋組には釘を使わず麻縄などで木材が結えてあるそうです。古式な様子がうかがえます。
そして忘れてはいけないのが涅槃堂です。寄棟造りの五間四方の建物は平成12年に完工されました。
しかし、内に安置された釈迦涅槃像は元禄15年(1687)のもので木像日本一だそうです。
境内は本寺としては特別広いものではありませんでした。火災にも会っているということで、再建の建物が中心です。それでも、由緒あるものが多く、感動しました。
今にも雨が降りそうな平日の午前。誰もおらず、ひとりっきり。
ゆっくりと静かないい時を過ごせました。
この後、般舟石(はんじゅせき)にも行きました。総門を出て北東200mほどのところにあります。親鸞聖人がここで野宿され明星天子から高田建立の霊夢を受けられたという高田発祥の聖地です。
また東南2kmほどの山のふもとにある三谷草庵にも足を運びました。親鸞聖人が、専修寺建設中に仮住まいした地であります。門徒により整備され、江戸時代後期、仏堂及び庫裏からなる草庵が建てられました。
それが、国史跡に指定され、きれいに修繕されています。
親鸞聖人が使われたという井戸もあります。真偽のほどはともかく、親鸞聖人が温かく迎えいれられていたこと、大切にされていたことがよくわかり、心がじわりときました。
門前に来た時は、やっと来た、そう思いました。
専修寺の説明があります。
史跡専修(せんじゅ)寺境内
真岡市高田1482番地
境内面積464アール(14036坪)
昭和42年7月6日 国指定
親鸞は承元元年(1207)法難にあって越後国に配流されたが5年ののち罪を許されて関東に入り常陸国稲田に滞在布教の為この地に巡錫されたとき大内氏一族の懇請によって一宇が作られたのが専修寺の始まりと伝えられている。信州善光寺感得の一光三尊仏を本尊としのち真仏(2代)さらに顕知(3代)にうけつがれ東国における初期真宗教団の根本道場として隆盛をみるに至った。寛正6年(1465)真慧(10代)は伊勢一身田に専修寺をつくり本山としたので以来この土地は下野国旧本山と称されるようになった。御影堂如来堂等その大半は江戸時代の再建にかかるものである。後堀河天皇(第86代)勅願所としても世に知られている。
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今回は史跡として専修寺を紹介したいと思います。
門前には親鸞聖人お手植えと言われる欅の木があります。しっかりと根を張った大きな木です。
そして総門があります。
茅葺の素朴な薬医門です。草創当初から残っていると伝えられるもので国の重要文化財となっています。
通り抜けてまっすぐ進んだところに山門があります。この立派な楼門は、元禄年間(1688-1703)の建築で、これも国の重要文化財になります。
「高田山」の扁額です。公猷親王の筆になります。
そして、その軸線上の奥にあるのが釈迦堂です。延享元年(1744)に再建されたもので、建造物としてはとても立派に感じました。こちらも国の重要文化財になります。
ここに秘仏である一光三尊仏が安置されています。17年に一度ご開帳されるそうです。機会があれば拝んでみたいものです。
この如来堂の礎石です。この石は建立当時のものと伝えられています。大きな自然石が使われています。
山門から右手奥には御影堂があります。親鸞聖人を祀る建物で、本堂というべきものでしょうか。寛保3年(1743)に再建されています。国の重要文化財になります。
内には「見真」の大きな額が飾られています。これは親鸞聖人の諡号が「見真大師」ということからきています。
須弥壇には親鸞聖人の「等身大の御影」と呼ばれる座像木像があるということでしたが、拝見できませんでした。
同じく左右に安置される真仏上人・顕智上人の座像(重文)も拝見できませんでした。
しかし、私ひとりきりで、静かな時間を過ごしました。
心やすらぐものがあります。
境内にはまだお堂や建造物があります。
こちらは鐘楼です。
こちらは太子堂です。
南無仏太子像という聖徳太子2歳のお姿をあらわした木像が(今は本寺御殿に)安置されています。
こちらは鼓楼です。
寺務所になっている庫裏です。茅葺で、小屋組には釘を使わず麻縄などで木材が結えてあるそうです。古式な様子がうかがえます。
そして忘れてはいけないのが涅槃堂です。寄棟造りの五間四方の建物は平成12年に完工されました。
しかし、内に安置された釈迦涅槃像は元禄15年(1687)のもので木像日本一だそうです。
境内は本寺としては特別広いものではありませんでした。火災にも会っているということで、再建の建物が中心です。それでも、由緒あるものが多く、感動しました。
今にも雨が降りそうな平日の午前。誰もおらず、ひとりっきり。
ゆっくりと静かないい時を過ごせました。
この後、般舟石(はんじゅせき)にも行きました。総門を出て北東200mほどのところにあります。親鸞聖人がここで野宿され明星天子から高田建立の霊夢を受けられたという高田発祥の聖地です。
また東南2kmほどの山のふもとにある三谷草庵にも足を運びました。親鸞聖人が、専修寺建設中に仮住まいした地であります。門徒により整備され、江戸時代後期、仏堂及び庫裏からなる草庵が建てられました。
それが、国史跡に指定され、きれいに修繕されています。
親鸞聖人が使われたという井戸もあります。真偽のほどはともかく、親鸞聖人が温かく迎えいれられていたこと、大切にされていたことがよくわかり、心がじわりときました。
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