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0104河童忌

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「水洟や鼻の先だけ暮れ残る」 芥川龍之介、辞世の句。

桜桃忌のことを書いたから、やっぱり河童忌のことも書きたい。

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芥川は好きで、よく読んだ。「河童」なども中3の冬に読んだが、その時の面白さよりも、再読・再々読した時の方が面白かったと思う。読むほどに味が出る。よく芥川というと、計算されつくした技巧派の作家と言われ、若いころは面白いかもしれないが、年を取って本当の人生がわかる頃には、技巧が浅はかに感じられ鼻につき、読み返したいとも思わない、などと言われた。

しかし、それはその人が浅はかに理解して、なるほどそういう技巧なのだねと高をくくっているに過ぎないのだと思う。芥川の本質は詩人であり、詩的精神の浄火により完成された作品群は不滅であり、今も心をゆさぶる。

文藝は感動の産物であり、しょせん頭でわかっていてもはじまらない。没入して、感動してこそ、本質に至る。好き嫌いがあって、入り込めないならしかたがない、と思う。が、いかにも残念な話だ。

これいいよね、面白い、というのも私の好みの問題かもしれないが、人生の真髄を、小さくわかりやすくまとめるとしたら、やっぱりこうだろう、というのが、芥川の作品群だと思う。

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「仙人」という短編がある。20年奉公して仙人になるという話だ。表面をなぞってしまうと、ひたすら懸命に頑張れば仙人になれる、そんな話にしか読めない。

しかし、主人公権助のひたむきさと思いっきりのよさ、20年という年月。それを思うと、ラストの昼間の中空に立つ姿は感動的でもあり、仙人になるより他ないだろうと思えてくる。

もっとつっこんで考えてみると、もともと主人公は仙人であり、下界に遊びに来ていただけ、ついに本領発揮して、天に帰っていく。残された下界の人たちの浅ましさ。そう感じたりもしてしまう。

わかったようなしたり顔したり、あーだこーだともっともらしいことを言ってばかりで、何の迷いもなく、ひたすら頑張るなんてとてもできないじゃないか。それが出来たら、仙人だよな、と感じ入ってしまった。


目立たない短編で、これが名作扱いされないことに不満でもあるのだが、心開いて読むと、こんな作品ばかり。よくぞ、これだけ並べ続けたものだなと思う。

全集を紐解くと、いろいろな方面へ多岐にわたりチャレンジしつづけている芥川を感じる。

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自殺は、やっぱり、疲れていたんだよなと思う。「ぼんやりとした不安」は、私には一番ピタっとくる理由だ。あまり思想的背景など、屁理屈はいらない。ただ、どうしようもなく疲れていたのだ。暑かったのだ。


「青蛙おのれもペンキぬりたてか」

「兎も片耳垂れる大暑かな」

東海地方も先日梅雨明け宣言が出た。いよいよ夏本番。


なにか狭いところに入り込んでしまったようで、極めるにはもっともっと集中が大事だったのかもしれないが、もう少しのんびり出来たらよかったのに。

河童忌にあたり、そう悔みごとのひとつも書きつけたい。でも、そうしたら、芥川でなくなっちゃうか。

青くて、みずみずしくて、それでいて完成している作品群。
新しい気持ちで、また読み返したいものだ。

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