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0107武居城(長野県) [城印象記]

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長野県東筑摩郡朝日村西洗馬の武居城を紹介します。(2014/7訪城)



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別名洗馬(せば)城。松本市街の南西、塩尻市街の西という位置です。
舌状の突端にある城山頂部を中心とした山城です。標高873m、比高73m。
駐車場が城山の南西部にあります。武居城公園として整備され、しっかりとした案内板も出ていました。

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長野県史跡 武居城跡

平成4年2月20日 長野県史跡指定
所在地 長野県東筑摩郡朝日村西洗馬

 武居城の初めは鎌倉時代、洗馬の庄に新補地頭として入って来た三村氏が築いたといわれている。
 16世紀の初め頃、三村氏が本拠を芦の田に移すまでは、この城が三村氏にとって最も重要な城であった。
 その後も城の改修が続けられ、現在の遺構は戦国時代末期のものである。
 城は三方からの尾根を二重の堀切で分断し、防御を堅固にしている。堀切の深さや傾斜がたいへん立派である。
 また、西側の傾斜には横堀の下に多くの竪堀がほられていて注目に値する。各郭の保存状態も極めて良好で小規模ながら実に良くまとまった縄張りの山城で、戦国時代最末期の山城の実態を見事に伝えている。
 なお、この城での実戦の行われた記録は残っていない。

朝日村教育委員会

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朝日村教育委員会さん、頑張っていますね。嬉しい限りです。

古くからの三村氏の重要な城であったようですが、比高の低さなどは意外な感じを受けます。信州の山城というと、比高の高い、人が往来したのであろうかというような山に、案内もないのだけれど、しかし中世山城の遺構がしっかり残る、そんなところが多いです。その点、ここは違います。ただ遺構がよく残っているという点では、手応えのある、ありがたい城址です。

冠木門が立って、雰囲気盛り上げています。

ただ雰囲気だけで、この位置に登城路があったわけでもなく、門の向こうには獣除けの柵があるなどは、やっぱり信州的でしょうか。

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遊歩道が整備されており、安心して登れます。すぐ近くには竪堀も見られ、怠りなくチェックしていきたいところです。

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主郭中心部に近づくと案内板がでています。まずは案内図から全体図と畝状竪堀の説明です。

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横堀から簾状に竪堀が落ちています。横堀に関係なく畝状に竪堀が並ぶケースが多いのですが、ちょっと珍しい縄張りです。

画像ではわかりにくいですかね。現場ではわかったつもりで撮ってきたんですが。

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二郭と土塁です。標高の高い山城ばかりまわっていたせいか、あまり下草を意識しなかったのですが、公園になっているこの武居城で下草が邪魔になってしまうのはちょっと皮肉っぽいですね。

土塁はこの城に残っている唯一のものです。その先は堀切。

大きめな堀切と小さい堀切があって、その先、尾根伝いに約1.5km歩くと重ね城に行き着きます。

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二郭から堀切を隔てて主郭です。この武居城では一番広い曲輪です。土塁は見当たりません。開墾でなくなったのか、もともとなかったのかは、よくわからないそうです。

ゆっくり見ながら登ったので、およそ15分ほどでした。

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帯曲輪が渦を描くように巻いています。が下草が多くて、遺構は確認しづらいです。その先の大堀切とか二重堀切がしっかり確認できないのは残念ですね。やっぱり山城の夏場はダメですね。草が枯れた季節に限ります。

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再び主郭に戻って二郭を見下ろします。堀切、曲輪、土塁、曲輪といい感じに遺構が確認できます。ちょっと惚れ惚れしてしまいます。こじんまりとまとまった山城です。案内板もしっかりあり、山城初心者にはお勧めですね。

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その二郭の先の堀切です。大きめな堀切で、戦国末期まで利用されてた様子がわかります。

この後、尾根伝いに重ね城へ向かいました。

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