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0127神われらと共に

昔、ラジオか何かで聞いた話があって、ひどく感銘したことがある。その話の核心の部分は、いつも心離れることはなかったのだが、それが何から来た話なのか、正確にわからなくて焼きもきしていた。たぶん聖書の話だろうと勝手に想像していたが、今日その話にぶち当たった。

曾野綾子さんの「老いの才覚」KKベストセラーズ発行ベスト新書295。

その最後に載っていた。そうか、詩のかたちにまとめられていたのか。

曾野さんの老いに対する話はとても納得する話で、そうだそうだと何度もうなづきながら読んだ。そして、最後に、この詩が紹介されていた。曾野さんも、きっとこの詩に共感するところ大きかったのだろう。

忘れないために、そして、この詩の感動を共有したいために、記そう。


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神われらと共に(浜辺の足跡)


夢を見た、クリスマスの夜。
浜辺を歩いていた、主と並んで。
砂の上に二人の足が、二人の足跡を残していった。
私のそれと、主のそれと。

ふと思った、夢のなかでのことだ。
この一足一足は、私の生涯の一日一日を示していると。

立ち止まって後を振り返った。
足跡はずっと遠く見えなくなるところまで続いている。

ところが、一つのことに気づいた。
ところどころ、二人の足跡でなく、
一人の足跡しかないのに。

私の生涯が走馬灯のように思い出された。

なんという驚き、一人の足跡しかないところは、
生涯でいちばん暗かった日とぴったり合う。

苦悶の日、
悪を望んだ日、
利己主義の日、
試練の日、
やりきれない日、
自分にやりきれなくなった日。

そこで、主のほうに向き直って、
あえて文句を言った。

「あなたは 日々私たちと共にいると約束されたではありませんか。
なぜ約束を守ってくださらなかったのか。
どうして、人生の危機にあった私を一人で放っておかれたのか、
まさにあなたの存在が必要だったときに」

ところが、主は私に答えて言われた。

「友よ 砂の上に一人の足跡しか見えない日、
それは私がきみをおぶって歩いた日なのだよ」


アデマール・デ・パロス (曽野綾子著「老いの才覚」より)

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