0345岩津城 [岡崎の城をめぐる]
岡崎市岩津町東山。
岩津の東にある小山。標高74m。丸くこんもりと茂っている。岩津天満宮の西隣になる。市内にあってよく中世山城の遺構を残している城だ。
以前は高速を渡る橋の向かい角に案内板があった。一方、私有地につき通行ご遠慮下さい、と看板が出てたりして見学者の混乱を招いていたようだ。この案内板がなくなり、西からの登城口に設置し直されていた。
周囲は住宅地であり、必ずしも見学者に好意を持っているわけではない。不用意な立入や駐車には気を付け、マナーは守りたい。
細くのびる竹藪の道を入り左に折れると大きな堀が見えてくる。そして土塁。馬出のような曲輪が確認できる。、
大ぶりな遺構だ。再び大きな堀に土橋。この土橋で主郭に至る。このあたりの様子がこの城の一番の見所であろう。
主郭は広い。円形に広がり周囲に土塁が認められる。
その土塁のひとつに碑が建つ。
以前はもっと鬱蒼としていたイメージがあるのだが、幾分すっきりしたのかな。看板がキレイになっていたせいか、そんなふうに感じられた。
しかし、主郭周辺の帯曲輪に入り込むと、竹藪はまだまだ厳しい。
地形は単純なようで、なかなか変化に富んでいる。細かく工夫されて堀・曲輪が配置されたのだろう。
時計回りに丹念に見てまわる。それが愉しい。なかなかの堅城だ。
この岩津城は中根大膳だったものを松平2代泰親・3代信光が奪い、信光雄飛の礎になった城だ。松平の山中の一領主から平野部に進出、この後、安祥城奪取、48人もいたという子どもを三河各地に派遣する。
岩津の山から未来を夢見ていたことだろう。
岩津の東にある小山。標高74m。丸くこんもりと茂っている。岩津天満宮の西隣になる。市内にあってよく中世山城の遺構を残している城だ。
以前は高速を渡る橋の向かい角に案内板があった。一方、私有地につき通行ご遠慮下さい、と看板が出てたりして見学者の混乱を招いていたようだ。この案内板がなくなり、西からの登城口に設置し直されていた。
周囲は住宅地であり、必ずしも見学者に好意を持っているわけではない。不用意な立入や駐車には気を付け、マナーは守りたい。
細くのびる竹藪の道を入り左に折れると大きな堀が見えてくる。そして土塁。馬出のような曲輪が確認できる。、
大ぶりな遺構だ。再び大きな堀に土橋。この土橋で主郭に至る。このあたりの様子がこの城の一番の見所であろう。
主郭は広い。円形に広がり周囲に土塁が認められる。
その土塁のひとつに碑が建つ。
以前はもっと鬱蒼としていたイメージがあるのだが、幾分すっきりしたのかな。看板がキレイになっていたせいか、そんなふうに感じられた。
しかし、主郭周辺の帯曲輪に入り込むと、竹藪はまだまだ厳しい。
地形は単純なようで、なかなか変化に富んでいる。細かく工夫されて堀・曲輪が配置されたのだろう。
時計回りに丹念に見てまわる。それが愉しい。なかなかの堅城だ。
この岩津城は中根大膳だったものを松平2代泰親・3代信光が奪い、信光雄飛の礎になった城だ。松平の山中の一領主から平野部に進出、この後、安祥城奪取、48人もいたという子どもを三河各地に派遣する。
岩津の山から未来を夢見ていたことだろう。
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