SSブログ

0471パソコンを始めた頃はExcelばかりだった

初めてExcelの画面を見た時、何を思ったのだろう。今となっては、はっきり思い出せないことばかりだが、わくわくと期待することが多かったことは確かだろう。

仕事で見せられた時も、データをまとめたりするの使えるんじゃないか、というアプローチだったと思う。

文章を書きたいというより、何かまとめたい、そんな欲求がいっぱいあったのではないか。

パソコンを買って、Excelを開いて、まずやったのは、図書目録や住所録や家計簿といったような、いわばデータまとめのような作業。これらの作業を通じて、Excelを楽しみ、パソコンに慣れていった。

とりあえず、キーボードを打てたのは大きかったと思う。もう若くない年頃だったから、キーボードが面倒だからパソコンはいいや、という人が多かった。

ワープロと違って、項目をセルに打ち込むのは、気持ち的にも楽しかったと思う。セルを移動させたり、コピーしたり、連番を振ったり、便利だなぁと感心した。

逆に文字の変換などは、当時のワープロから見ても、かなり劣っているようでイライラした。例えば「にし」が「西」と変換されず「二氏」とかになって仕舞うのだ。変換の候補に「西」が出てこない。だから「せいよう」として「西洋」から1字消すなどの工夫をしたりした。変換されて当然と思われる文字でも、出てこないことは多かった。

初めてワープロを買った時も図書目録を作った。その時は、500冊ほどの文庫本の一覧表を作るのに、休み休みだったから、1年以上かかった気がする。それがExcelでは、約1500冊に増えていた文庫本を2、3ヶ月程度でまとめた。今思えば、それでものんびりしていたなぁと思うが、当時は画期的な出来事に感じた。

また家計簿のような数字が多いデータでは、瞬時に計算できることを面白がって、いろいろな表を作ったりした。

それまでは、計算というのは、それなりに大変だった。計算とかは好きな人だったが、データはあるけど、計算が面倒なので、その結果は知らない、ということが多々あった。というか、それが普通だった。

それが、Excelにデータがある、Excelにデータを打ち込んだということは、即ち、結果もわかったというのに等しい、ということに気が付いて、身震いがするほど驚いた。

今まで、計算すること、計算ができることが、少なからず偉いことと思っていた。それが、実はそれほど大したことでない。というか、コンピュータが便利になれば、誰もが簡単にできることで、たいした価値のないことなのだ。

正確なデータと適切な方法(平均値ならば全部のデータを足して全部の個数で割る等の方法)を気付く、知る、考える、ことこそが大切なのだ。

そして、何をわかりたいか、その意思こそがもっとも重要のだ。

そんな本質的なことを痛感させられた。

まだまだ、やっていることは幼稚だったと思うが、ますますExcelにのめり込む日々だった。

0471-01.jpg
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。