0474山崎城(愛知県) [城印象記]
愛知県安城市山崎町の山崎城を紹介します。
安城の東になります。安祥城の北北東1kmほどの位置です。
広忠(家康父)の叔父、松平信孝が築いた城で、岡崎城の広忠に敵対し、織田方に通じました。1543(天文2)年のことです。しかし、1549(天文18)年には、広忠方が、落城させました。
ただ、お城としてはそれだけでなく、1585(天正13)年小牧長久手の戦い後の緊張状態の中で、改修されたのではないかと見られています。西三河南部ではそういう城は多いようです。
遺構として、深さ2mの堀が約50mに渡って残っています。
神明社の裏になるのですが、見応えありますね。
城としては方形城館だったそうですが、それを偲ぶほどには遺構が残ってないのは残念です。空堀に内接するように土塁があったそうで、神明神社が鎮座するあたりは、土塁の上でした。
敷地内には公民館が合ったり、小公園があったり、地域のちょっとした場所になっています。城の跡地として、いい場所に立地したのを証明しているようで嬉しいですね。
やや高台になっているのは、まわりの道路からわかります。
鳥居に向かって右あたりには、土塊があります。銅像やら灯籠で飾られていますが、後ろからみるとその盛り上がりがよくわかります。隅櫓台といわれているそうです。
安城の東になります。安祥城の北北東1kmほどの位置です。
広忠(家康父)の叔父、松平信孝が築いた城で、岡崎城の広忠に敵対し、織田方に通じました。1543(天文2)年のことです。しかし、1549(天文18)年には、広忠方が、落城させました。
ただ、お城としてはそれだけでなく、1585(天正13)年小牧長久手の戦い後の緊張状態の中で、改修されたのではないかと見られています。西三河南部ではそういう城は多いようです。
遺構として、深さ2mの堀が約50mに渡って残っています。
神明社の裏になるのですが、見応えありますね。
城としては方形城館だったそうですが、それを偲ぶほどには遺構が残ってないのは残念です。空堀に内接するように土塁があったそうで、神明神社が鎮座するあたりは、土塁の上でした。
敷地内には公民館が合ったり、小公園があったり、地域のちょっとした場所になっています。城の跡地として、いい場所に立地したのを証明しているようで嬉しいですね。
やや高台になっているのは、まわりの道路からわかります。
鳥居に向かって右あたりには、土塊があります。銅像やら灯籠で飾られていますが、後ろからみるとその盛り上がりがよくわかります。隅櫓台といわれているそうです。
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