0604土呂城 [岡崎の城をめぐる]
岡崎市福岡町御堂山。
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岡崎駅から福岡に至るこの道はちょくちょく通る。通るたびに、このあたりは土呂城があったと思う。そんな場所なのだが、いつの間にかコンビニだったところは弁当屋さんに変わってしまった。
これは2009年12月の画像である。まだコンビニがあった時代だ。それが、今回取材して驚いた。なくなっているのである。
そう案内の棒杭。けっこう新しそうだったのにどうしたのだろう。残念だ。
「土呂城址」
「御堂山が本丸の址で、これより北二丁(約二二〇メートル)の御坊山が二の丸の址と伝えられている。(栗田古文書より)」
「永禄七年(一五六四)の一向一揆のあと、家康の命により石川数正により建てられ、以後城下町として発展する。築城並びに廃城年月日は不詳。」
昔の画像を見るとこんな説明が記されていた。
高台になった御堂山は今も残っているが、どこか寂しげだ。
城遺構は何もないが、この高さ、この広さは、まずまずのものだろうか。
御堂山は蓮如さんゆかりの地で、その隅には、遺骨の一部を譲り受けたという墓が建っている。
変わりゆくなかで、これだけは残りそうだ。
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岡崎駅から福岡に至るこの道はちょくちょく通る。通るたびに、このあたりは土呂城があったと思う。そんな場所なのだが、いつの間にかコンビニだったところは弁当屋さんに変わってしまった。
これは2009年12月の画像である。まだコンビニがあった時代だ。それが、今回取材して驚いた。なくなっているのである。
そう案内の棒杭。けっこう新しそうだったのにどうしたのだろう。残念だ。
「土呂城址」
「御堂山が本丸の址で、これより北二丁(約二二〇メートル)の御坊山が二の丸の址と伝えられている。(栗田古文書より)」
「永禄七年(一五六四)の一向一揆のあと、家康の命により石川数正により建てられ、以後城下町として発展する。築城並びに廃城年月日は不詳。」
昔の画像を見るとこんな説明が記されていた。
高台になった御堂山は今も残っているが、どこか寂しげだ。
城遺構は何もないが、この高さ、この広さは、まずまずのものだろうか。
御堂山は蓮如さんゆかりの地で、その隅には、遺骨の一部を譲り受けたという墓が建っている。
変わりゆくなかで、これだけは残りそうだ。
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