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0620ホンの読みはじめ

勉強と部活の両立、って言う。しかし、それは愛知県のことだけらしい。そもそも部活って何? 部活が学校生活で大切で、それがあるから学校が楽しくて生活が充実する、そして勉強も活き活きと頑張れる、という感覚は、他にはないんだろうか。

としたら、勉強と部活が時間がなかなか上手くいかなくて大変だ、両立は苦しい。そんな悩みはわかってもらえないのだろうな。

ましてや、両立どころか、やるのが当たり前で部活をやらないなんて考えられないと中学時代は思っていた。

それが、夏の大会が終わって、部活から解放された時の空虚感ってなかったなと思う。

あの時は何をしていたのだろう。あまり記憶にない。受験生だったから、勉強はしていたと思うが、といって特別なことは何もない。やっぱりヒマしていたような気もする。

僕が初めて文庫本を買ったのはその頃で、その頃のクラスでは、なぜか読書ブームが起きていた。そんな、雰囲気におされてだと思う。

本はもともと好きだった。小学校の頃からけっこう読んでいたと思う。それが、中学生になってあまり読んだ記憶がないのは、やっぱり部活が忙しかったせいなのかもしれない。部活がなくなって、ぽっかり時間が空いたことには違いない。

初めて買ったのは岩波文庫の「雪国」と「河童」だ。

文学作品ということを意識したのも初めてのことだった。

もっとも、初めて文学を意識して読んだ「雪国」は、よくわからない、つまらないものだった。

 国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
 夜の底が白くなった。 信号所に汽車が止まった。 向側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落 した。雪の冷気が流れこんだ。娘は窓いっぱいに乗り出して、遠くへ ...

なるほど、ちょっといい書き出しだなと思ったものの、冗漫でつかみどころのない内容で、どうでもいいことばかり、と酷評。生意気な中学生だった。

(大人の恋愛を理解するにはまだガキ過ぎたのかもしれない。)

「河童」はちょっとはいけるかな、とか思ってた。

けど、その後、出会った井上靖の「あすなろ物語」にひどく感動して、いつの間にか感化されていた。

「あすなろ物語」には感動した。別世界が実世界より生々しく、そして人生を教えてくれるような気がした。そうした文学の素晴らしさを知り、のめりこんでいったのだ。

いつも本を持ち歩くようになった。

大きな空白があったからの目覚めなんだろう。

高校に入って、時間欲しいなと思ったから、両立は苦しいだろうと思って、さんざん迷った挙句、部活はあきらめた。

けど、その夏、三冊目の文庫「或阿呆の一生・侏儒の言葉」を買った。

すっかり文学少年になっていた。

そして、その夏、文藝部入った。

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