0621霞ヶ城(長野県) [城印象記]
長野県諏訪郡下諏訪町久保山王台の霞ヶ城(手塚城)を紹介します。
諏訪大社下社秋宮があります。そこからホテル山王閣にかけてが霞ヶ城になります。途中に橋がかかっていますが、その下は堀の名残でしょうか。
するとホテル山王閣あたりは出曲輪です。遺構はありません。名残を探せばらしい部分は見つかるでしょうが、楽しむのは妄想の領域ですね。
それでも、訪ねて歩き回るのは楽しいものです。
説明板が出ていました。
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霞ヶ城跡(手塚城)
この地は、手塚別当金刺光盛の居城跡です。
城主光盛は、木曽義仲に従い、寿永2年(1183年)義仲の火牛の奇襲戦法で有名な倶利伽羅峠の合戦に源氏方で参戦。
つづく加賀篠原の戦いでは、敗走する平家群の中にあって、ただ一騎ふみとどまって奮戦する武将斉藤別当実盛と一騎打ちに及んだ。
この古式に則った見事な一騎打ちは、武士道の鑑とされ、能「実盛」の題材となって今に伝えられている。
光盛について、平家物語によれば
光盛 かく申すは、信濃国諏訪郡霞ヶ城主手塚別当金刺光盛なり。
実盛 仔細あって名のらじ、唯、首を取って木曽殿に見参されよ。
光盛 あなやさし、いかなる人に渡らせ給へば、みかたの御勢は、皆落行き候に、ただ一騎残らせ給いたるこそ、優に覚え候。名乗らせ給へ。
実盛 存ずる旨あれば名乗る事はあるまじいぞ。組もう、手塚。
激闘の末、光盛がその首を討ち取るが、その人こそ、幼少の義仲(駒王丸)の命の恩人斉藤別当実盛であり、義仲が号泣する戦乱の世の悲劇としても知られている。
下諏訪観光協会
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あの手塚の城か、というほど歴史通ではないのでいけないのですが、でもその平家物語の世界からみれば、訪れたいところではないでしょうか。
山王閣の駐車場には手塚別当金刺光盛の騎馬像があります。
諏訪大社下社秋宮があります。そこからホテル山王閣にかけてが霞ヶ城になります。途中に橋がかかっていますが、その下は堀の名残でしょうか。
するとホテル山王閣あたりは出曲輪です。遺構はありません。名残を探せばらしい部分は見つかるでしょうが、楽しむのは妄想の領域ですね。
それでも、訪ねて歩き回るのは楽しいものです。
説明板が出ていました。
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霞ヶ城跡(手塚城)
この地は、手塚別当金刺光盛の居城跡です。
城主光盛は、木曽義仲に従い、寿永2年(1183年)義仲の火牛の奇襲戦法で有名な倶利伽羅峠の合戦に源氏方で参戦。
つづく加賀篠原の戦いでは、敗走する平家群の中にあって、ただ一騎ふみとどまって奮戦する武将斉藤別当実盛と一騎打ちに及んだ。
この古式に則った見事な一騎打ちは、武士道の鑑とされ、能「実盛」の題材となって今に伝えられている。
光盛について、平家物語によれば
光盛 かく申すは、信濃国諏訪郡霞ヶ城主手塚別当金刺光盛なり。
実盛 仔細あって名のらじ、唯、首を取って木曽殿に見参されよ。
光盛 あなやさし、いかなる人に渡らせ給へば、みかたの御勢は、皆落行き候に、ただ一騎残らせ給いたるこそ、優に覚え候。名乗らせ給へ。
実盛 存ずる旨あれば名乗る事はあるまじいぞ。組もう、手塚。
激闘の末、光盛がその首を討ち取るが、その人こそ、幼少の義仲(駒王丸)の命の恩人斉藤別当実盛であり、義仲が号泣する戦乱の世の悲劇としても知られている。
下諏訪観光協会
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あの手塚の城か、というほど歴史通ではないのでいけないのですが、でもその平家物語の世界からみれば、訪れたいところではないでしょうか。
山王閣の駐車場には手塚別当金刺光盛の騎馬像があります。
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