0876部埼灯台(へさきとうだい) [灯台]
日本の灯台50選のひとつ部埼灯台へ行ってきました。
関門海峡九州側の東端です。こうして地図でみると海峡は大河のようでもあります。その入口で海を照らしています。
灯台に向かう道は岬に向かう趣にあふれていました。到着は行き止り。
灯台は丘の上です。
夜、到着したのですが、灯台が灯台らしく照らしている画像は意外と今までにも撮ってないものですね。
満月の夜でした。海は驚くほど明るく、行き交う船も見えます。
目が慣れてくるといろいろなものが見えてきます。けど、やっぱり暗い。ずんずんと進むにはこわい。多くの人が明かりに勇気づけられたことだろうな。
灯台の光と静かな海。岸壁でお酒を飲みながら、夜を過ごしました。
おはようございます。朝です。
朝の散歩で灯台まで登ります。灯台まで120mです。
途中は石段で整備されています。
5分くらいの歩きでしょうか。部埼灯台です。
白い、ずんぐりした灯台です。
夜、点灯して情報を伝えていたのはこちらですね。これは潮流などの状況を知らせる電光表示板だそうです。
光をありがとう。灯台のレンズ部分です。
陽も高くなってきました。薄曇りです。写真を撮るにはありがたかったかな。
朝の海はいいですね。静かな海。
関門海峡は、船が多いです。活動的な海峡。
それらをしっかり受け止めて、あたたかく見守る灯台。小さいようで、がっちりとした姿は、実に大きな存在に感じました。
実は、この場所で最初に灯台の明かりを灯したのは僧清虚でした。
高野山にのぼる道中、この難所に気付き、以来13年間にも渡り、托鉢で得た糧で焚き木を買い入れ、読経とともに火を焚き続けたといいます。その火を村人は受け継ぎ、そして明治5年の灯台建設となりました。
見晴らしのよい部分にその火焚場を復元しています。
本来は、灯台の後方山頂付近にあったそうです。
ひと口に火を焚き続けるといっても、雨風の強い日もあったことでしょう。(そういう時こそ、なおいっそう明かりが求めれたことでしょう。) その強い思いに、ただ頭が下がります。
海岸には僧清虚の像があります。
割と大きな像です。像は海の岩礁に建っているので、足元には行けません。正面を見るには、海峡の船の上からですね。
背後には説明文を刻んだ石板があるのですが、この角度では、岸からは読めませんでした。
が、屹立とした姿は心に残りました。ともに海の安全を祈りたいですね。
関門海峡九州側の東端です。こうして地図でみると海峡は大河のようでもあります。その入口で海を照らしています。
灯台に向かう道は岬に向かう趣にあふれていました。到着は行き止り。
灯台は丘の上です。
夜、到着したのですが、灯台が灯台らしく照らしている画像は意外と今までにも撮ってないものですね。
満月の夜でした。海は驚くほど明るく、行き交う船も見えます。
目が慣れてくるといろいろなものが見えてきます。けど、やっぱり暗い。ずんずんと進むにはこわい。多くの人が明かりに勇気づけられたことだろうな。
灯台の光と静かな海。岸壁でお酒を飲みながら、夜を過ごしました。
おはようございます。朝です。
朝の散歩で灯台まで登ります。灯台まで120mです。
途中は石段で整備されています。
5分くらいの歩きでしょうか。部埼灯台です。
白い、ずんぐりした灯台です。
夜、点灯して情報を伝えていたのはこちらですね。これは潮流などの状況を知らせる電光表示板だそうです。
光をありがとう。灯台のレンズ部分です。
陽も高くなってきました。薄曇りです。写真を撮るにはありがたかったかな。
朝の海はいいですね。静かな海。
関門海峡は、船が多いです。活動的な海峡。
それらをしっかり受け止めて、あたたかく見守る灯台。小さいようで、がっちりとした姿は、実に大きな存在に感じました。
実は、この場所で最初に灯台の明かりを灯したのは僧清虚でした。
高野山にのぼる道中、この難所に気付き、以来13年間にも渡り、托鉢で得た糧で焚き木を買い入れ、読経とともに火を焚き続けたといいます。その火を村人は受け継ぎ、そして明治5年の灯台建設となりました。
見晴らしのよい部分にその火焚場を復元しています。
本来は、灯台の後方山頂付近にあったそうです。
ひと口に火を焚き続けるといっても、雨風の強い日もあったことでしょう。(そういう時こそ、なおいっそう明かりが求めれたことでしょう。) その強い思いに、ただ頭が下がります。
海岸には僧清虚の像があります。
割と大きな像です。像は海の岩礁に建っているので、足元には行けません。正面を見るには、海峡の船の上からですね。
背後には説明文を刻んだ石板があるのですが、この角度では、岸からは読めませんでした。
が、屹立とした姿は心に残りました。ともに海の安全を祈りたいですね。
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