1077直虎ゆかりの龍潭寺
大河ドラマ館の後、龍潭寺を訪れました。時間が16:30(閉門17:00)と区切られているので焦りましたが、移動は15分ほどでできました。気賀の町中は渋滞します、時間には気を付けてください。
看板などリニューアルされて、きれいになっていました。大河効果って素晴らしいです。
禅宗の臨済宗のお寺で井伊家菩提寺として有名ですが、開基は天平5年(733年)にも遡るそうです。落ち着いたたたずまいがいいですね。
ここの一番の見応えのあるものというと小堀遠州が作ったという庭園です。お堂の裏手になります。心字池を手前に、石を並べたお庭です。
パノラマで撮ってみました。
これでは見難いですね。
では向って左側。
向って右側。
ダメですね。実際に眺めるのがいいですね。私は閉門ぎりぎりだったので、運よくしばし一人きりで、たたずむことができました。ほんのわずかなことでしたが、静かなひと時がうれしかったです。
いい庭です。
直虎ゆかりということでは、寛保2年(1742年)建立の井伊家霊殿があります。
39代当主の井伊直愛の揮毫された額です。
大老井伊直弼の曾孫にあたる井伊直愛は彦根市長を務められたりしています。
その建屋の奥に並んでいるのは、右から元祖井伊共保、22代井伊直盛、24代井伊直政です。残念ながら、直虎の名前は家系図にはあるものの、数えられてないのですね。
あと、寺の西に井伊氏歴代墓所があります。
お墓はコの字に並んでいて、奥の2基は右が初代井伊共保、左が22代井伊直盛です。右側の6基は井伊家歴代の墓とありましたが、人物の名前はありませんでした。左側は、奥から、直盛夫人・井伊直虎・23代井伊直親・直親夫人・24代井伊直政です。
左側の人々がまさに大河ドラマに登場する人々なのですね。
以前からこうだったのか記憶がありませんが、そうなのかと思って見させていただきました。もちろん、撮影前には手を合わせてきましたよ。
お寺の外、南側には、井伊家発祥の井戸があります。
何度も来ているはずなのに、ここも記憶にありませんでした。多分、井戸は見なかったのだろうと思います。
大河ドラマでは井戸はキーポイントになっています。大河ドラマに教えられることは多いですね。なるほど、そんな伝説があったのだなぁと見てきました。
彦根藩主が繰り返し整備したという説明には、胸が熱くなる思いです。直虎もきっと「ありがとう」と言っていることでしょう。
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禅宗の臨済宗のお寺で井伊家菩提寺として有名ですが、開基は天平5年(733年)にも遡るそうです。落ち着いたたたずまいがいいですね。
ここの一番の見応えのあるものというと小堀遠州が作ったという庭園です。お堂の裏手になります。心字池を手前に、石を並べたお庭です。
パノラマで撮ってみました。
これでは見難いですね。
では向って左側。
向って右側。
ダメですね。実際に眺めるのがいいですね。私は閉門ぎりぎりだったので、運よくしばし一人きりで、たたずむことができました。ほんのわずかなことでしたが、静かなひと時がうれしかったです。
いい庭です。
直虎ゆかりということでは、寛保2年(1742年)建立の井伊家霊殿があります。
39代当主の井伊直愛の揮毫された額です。
大老井伊直弼の曾孫にあたる井伊直愛は彦根市長を務められたりしています。
その建屋の奥に並んでいるのは、右から元祖井伊共保、22代井伊直盛、24代井伊直政です。残念ながら、直虎の名前は家系図にはあるものの、数えられてないのですね。
あと、寺の西に井伊氏歴代墓所があります。
お墓はコの字に並んでいて、奥の2基は右が初代井伊共保、左が22代井伊直盛です。右側の6基は井伊家歴代の墓とありましたが、人物の名前はありませんでした。左側は、奥から、直盛夫人・井伊直虎・23代井伊直親・直親夫人・24代井伊直政です。
左側の人々がまさに大河ドラマに登場する人々なのですね。
以前からこうだったのか記憶がありませんが、そうなのかと思って見させていただきました。もちろん、撮影前には手を合わせてきましたよ。
お寺の外、南側には、井伊家発祥の井戸があります。
何度も来ているはずなのに、ここも記憶にありませんでした。多分、井戸は見なかったのだろうと思います。
大河ドラマでは井戸はキーポイントになっています。大河ドラマに教えられることは多いですね。なるほど、そんな伝説があったのだなぁと見てきました。
彦根藩主が繰り返し整備したという説明には、胸が熱くなる思いです。直虎もきっと「ありがとう」と言っていることでしょう。
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