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1191清普寺の能勢一族の墓

地黄城の移築門を見に訪れた清普寺であるが、能勢氏の菩提寺にあたり、一族の墓所もあった。

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これが素晴らしく圧倒された。

能勢氏はこの地方の豪族で、国人領主ということは理解していたが、これほど由緒があり、一族が根付いていたのか、と立ち並ぶお墓から感じられた。

もっとも、お墓には特別な説明がない。

わかる人をと思い、何とか能勢頼次のお墓を確認した。

能勢頼次は地黄城を築城し、焼払われた城下を再建した人で、関ヶ原の合戦で東軍に組みし、その後の基礎を作った人だ。

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「能勢家中興の祖/能勢頼次公/六十五才」と案内がある。

能勢氏は摂津源氏の流れを汲む一族で、源頼光の玄孫国基を祖とする、そうであるが、不明な点も多いらしい。

だから、きちんとした案内も付け辛いのだろう。残念だ。

源頼光まで遡れは平安中期になってしまい、お寺を創建した能勢頼次から見ても何百年前のことで、とてもお墓など物理的なものはないのだろうが、これらの多くのお墓は頼次前後から、数家に枝分かれした江戸期の一族のもののようだ。それらが立派に立ち並ぶのも、宗家が地黄城(地黄陣屋)を拠点に旗本として存続したのが大きいのだろう。

祖先を祀るということは大切なことだ。そんな意義を実感した。

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