0694楯の城移築門-明白院山門 [移築城門]
お城の中でも門を見ることは好きだ。けっこう移築された城門は多く、忘れがちなポイントだけに、このブログではその点も押さえていきたいと思う。
楯の城の印象記を書いたが、楯の城の移築門が近くの明白院にある。
この山門が楯の城の移築門だ。
明白院山門
本寺は日向山と号し、本尊は勝軍地蔵である。天正年間(1573~1592)天江泉岳を開山として、勝沼城主三田氏の遺臣野口刑部丞秀房を開基として創立された。
この山門は、日向和田の館(楯)の城にあったものを明白院建立の際ここに移したと伝えられ、木造茅葺一間一戸の四脚門として市内に現存する山門の中で最も古構を遺す一例として貴重である。
青梅市教育委員会
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そんなに大きな門ではないが、がっちりとしたつくりだ。
後から見ると、屋根の檜皮葺に苔蒸しているのがわかる。
四脚門ではあるが、横から見た感じが簡素なつくりを物語り味わい深い。
いわゆる天井裏が直接見える構造なのだ。それが何とも言えず面白くてじろじろ見ていた。
平成8年行われた解体修理の札が挙がっていた。
楯の城の印象記を書いたが、楯の城の移築門が近くの明白院にある。
この山門が楯の城の移築門だ。
明白院山門
本寺は日向山と号し、本尊は勝軍地蔵である。天正年間(1573~1592)天江泉岳を開山として、勝沼城主三田氏の遺臣野口刑部丞秀房を開基として創立された。
この山門は、日向和田の館(楯)の城にあったものを明白院建立の際ここに移したと伝えられ、木造茅葺一間一戸の四脚門として市内に現存する山門の中で最も古構を遺す一例として貴重である。
青梅市教育委員会
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そんなに大きな門ではないが、がっちりとしたつくりだ。
後から見ると、屋根の檜皮葺に苔蒸しているのがわかる。
四脚門ではあるが、横から見た感じが簡素なつくりを物語り味わい深い。
いわゆる天井裏が直接見える構造なのだ。それが何とも言えず面白くてじろじろ見ていた。
平成8年行われた解体修理の札が挙がっていた。