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0194雲海の竹田城が有名になったこと

朝が冷え込むようになってきた。雲海の竹田城を思い出す。

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私がはじめて竹田城を訪れたのは、まだ1980年代のことだった。城めぐりは仕事についてから趣味で始まったものだが、その頃には、およそ100名城クラスの城は踏破していたと思う。

が正直、竹田城のことはほとんど知らなかった。ちょっといい城らしいから、旅の最後に立ち寄った、というところだ。山城ではあるが、かなり上まで車で上がれる。

訪れてびっくりした。なかなかいい城だ。これほどの城が、なぜもっと紹介されないのだろう。有名にならないのだろう。不思議な気がした。その日、時間が少ないのが悔やまれた。

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それからすぐに再訪し、その後、城仲間とも何度か訪れることとなった。

2000年以前の竹田城は人が少なかった。かなり名城と思われ、多少なりとも有名と思われる城でも人がいないのは、そう珍しいことではない。だから、それほどは気にならなかった。

しかし、これほどのいい城なんだからと、城仲間でもよくオフをしたし、竹田城をもっと見てほしい、良さを知ってほしいと、いろいろPRしたりしたものだった。

情勢が変わったのは、2000年を過ぎしばらく経ってからだろうか。

雲海が素晴らしい、と聞いた。

城仲間に誘われ雲海オフに出かけた。残念ながらこの時は空振りだった。

雲海の写真が撮れたのは2012年のこと。このわずか数年で、ものすごく人が増えたことに驚いた。笑い話に聞いたが、以前は朝のこの時間に南千畳をウロウロあるいているとバカヤローと天守台から怒鳴られたものだが、もう人があふれて人を入れずに風景を撮るのが不可能で、それどころか天守台に割り込むことさえ大変になった、と言ってた。

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立雲峡から眺めた雲海に浮かぶ竹田城は見事で、天空の城や日本のマチュピチュとも呼ばれるが、このPRが成功したと思う。

それにしても、無名だった史跡が、こんなにも脚光を浴びるようになったのは一城郭ファンとして嬉しいことだ。いいものがいいと理解され、共有される、そうあってほしい。

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しかし、竹田城の話は、ハッピーで締めくくれない。

石垣からの転落事故が起きた。あれだけの人だ、いつかは起きると心配されていた。その通りになってしまった。

あまりの人で、緑ははげて、土が流れ、石垣にも悪影響を与えている。それがどうにも改善されず、現在は天守台を含め立入禁止区域が作られているありさま。

他に入山規制の時間も設けられている。

混雑して、こんなことが起こるなんて、1980年代から言えば、信じがたいことだ。まさか、しかし、まさかと言うことが起こるものである。

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竹田城のことは考えさせられる問題だ。

人気が出てほしい、それだけの良さは充分ある。ある日突然大爆発して、人気沸騰、もてはやされる。しかし、時期がくると急落して、忘れ去られてしまう。他ではよくある話だが、竹田城もそうなってしまうのか。

注目してほしい。注目されたい。けど、注目されるということは、どういうことなんだろう。

すっかり評価が定まった史跡と同じように、ほどほどに人気ががあって、ほどほどに注目されたいものであるが、それは虫がいいということだろうか。それにしても、人気というものは恐ろしいということか。

雲海の竹田城は、私にとってはちょっと苦い思いもした。規制の多い竹田城には、しばらくは行きたくないと思う。

しかし、いつかまた、誰もいない天守台で、何もない空を見てみたいと思っている。

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