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0209テニスと野球の応援のしかた

子どもがテニスをやっている。先日、そのテニスの応援に行った。

私自身も昔はテニス部だった。応援は華やかになったなとも思ったが、やはり基本は変わらない。「サーブの時は静かにしなさい」と注意されていたが、プレーは静かに見守るスタイルである。そしてよく出てくる言葉は「ラッキー」だ。

更に自分は子どもの頃に野球(ソフトボール)をやっていたのだが、その応援との違いを改めて感じた。

野球では野次がつきものだ。声で動揺を誘うというのは、常套手段だ。

ピッチャーが投げる時、「入るよ入るよ入るよ入ったっ!」と、ボール球でも声の勢いで振らしてしまおうというのは、よくあった。静かにしなさい、どころではない。

エラーがあると野次った。「サードが穴だよ」とかやって、次もエラーするように仕掛けるのだ。

それから、微妙な判定には、例え違うと思ってもコーチャーは「セーフ」とやるものである。これはお約束なのだ。

テニスの応援とはまったく違う世界である。

ふと、そんなことを考えたのは、職場でのA君のことである。彼は、元野球部甲子園球児で、地域の少年野球の監督をやっているそうである。その彼の声掛けが、野球調なのである。そう気づくと、日々の言動がずいぶん納得される。

自分が得意球で決めたこともラッキーと励ましあう観点と、やぁーい下手くそザマーミロと手を打って喜ぶ観点の違いか。

こんなふうに書いてしまうと野球関係者に申し訳ないが、しかし、いかにして勝つかということについては、それだけ野球の方が貪欲で、必死で、ある意味素直かもしれない。

私も子ども頃は、野球で野次ったり野次られたりしたものだ。だから、意外なくらい口悪くもなれるし、言われ強よかったりもする。

しかし、今は少年野球では野次禁止にしているらしい。子どもがと言うより、放っておくとその親が野次ったり、親が子供に知恵を付けたりするそうである。で、野次が陰惨になってしまう。子どもの喧嘩に親がでるなんて(野球はケンカではないが)恥ずかしくないのか。子どもの野次など一笑に付すという感覚はないのか。

野球に野次がないのは寂しいと思ったりもする自分ではあるが、そのへんのモラルはあるつもりだ。つまり、本当に強いものが、本当に弱いものを、野次らない、ということだろうか。野次は、明るくやるものだ。

競り合う相手との心理戦、それが野次であったり、声掛けなのだろう。

そして、その世界での慣習というか、暗黙のルールがあるのだろう。それをみだりに、よその世界に持ち込むと、混乱してしまう。

そんなことを、つらつら考えた。

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