0235千石堀城(大阪府) [城印象記]
大阪府貝塚市名越の千石堀城を紹介します。
根来寺衆・雑賀衆が対秀吉征伐軍に対峙するため丘に築いた陣城である千石堀城。
地図に印をつけた丘の上に説明板がある。中央に通り抜けれる道があるが、右手の南東の丘の突端にある。
少し甘く考えていたせいか、現地についたら思いがけない藪で慌てた。簡単に見つかると思ったが、なかなか見つからない。藪を透かした先にらしいものを見つけたので近寄ってみると。
崖の上に説明板があった。わずかとはいえ、きつい直登だ。
丘の突端だ。
そして、その先に進むと碑があった。折れた碑であるのは、ネットで見た状況通りだった。ただ予想以上に藪っていた。
平場になっている。主郭があったと思っていい地形だろう。ただGPSマップで見ると丘の高い部分はもう少し先のようである。更に奥へと足を運んでみたが、なだらかな地形が続くばかりで手応えがなかった。
日暮れてしまったので帰路についた。
ネットで教えていただいたが、実は、説明板のある反対の丘、地図で見ると北西の側が本来の城郭部分らしい。何か釈然としない感覚があったので、そうなのかと地団駄を踏んでいる。
「近畿の城郭1中井均監修・城郭談話会編集」265頁を見ると、小さいながら千石堀城の縄張図が載っている。その地形をきちんと見て地図と見比べると、なるほど、北西の丘のようだ。
どのくらいなものかは、やっぱり直接見るしかない。
南東部分の丘も含めての城域だった可能性もあるものの、残念なことをした。南東の丘の途中で、堀らしいものを見たりして、どんな遺構なのかなといろいろ想像したりしていたが、すべてが胡散臭くなってしまった。
もっとも、簡単に説明板と碑を確認しようと甘く見たのがまちがいだったのだろう。これはリベンジしなくては、いけないな。(いつのことになるやら。)
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