0273石飛城(愛知県) [城印象記]
愛知県豊田市実栗町石飛の石飛城を紹介します。
マイナーな比高の高い山城が未訪で残っています。こういう城もぼちぼちと攻城したいと思い、今年の城はじめに行ってきました。
山間地となるとヤフー地図もグーグルマップも等高線が描かれてない場合が多く、位置の特定が難しいです。でも、実際は峰ひとつ間違ってもたどり着けないばかりか、山で遭難の恐れもあります。
国土地理院の等高線のある地図で示すとここです。標高346mの頂です。
車は県道33号線の余白地に停め、頂が見えませんが、山のふもとに向かっている林道から進みます。実栗線と書かれた道です。
しばらく進むと前方に頂がみえます。比高190mというので、かなりの高山です。
舗装された林道がつきると、山道に入り、すぐに道も消えてしまいます。
U字型の谷のような地形に入ります。左手の高い尾根の上に城はあります。まっすぐ進むと、藪は深まります。右手の尾根の方が低く、こちらに上がってぐるっと回り込むというのが遠回りだけど、安全そうな経路に思えます。
結果的に言えば、そう思うのですが、その時は断定しきれず城に近づこうとして、登りやすそうな斜面を見計らい、左の峰目掛けて直登しました。登れない斜面ではありませんが、かなり距離があるというか、高いのでしんどいです。
途中には巨石も見えます。
登り切ると石飛城です。
人工的な削平地で、ああこれは!と思う瞬間は嬉しいですね。おどろおどろしい山が急に親しみのあるものに感じます。
その後訪れた近くの遺構が良好に残る円山城でも土塁が見られませんでしたから、もともと土塁は無いのでしょう。
東端に行くと、空堀らしき遺構があり、先に曲輪があります。
東端から見ると、切岸状に主郭が浮かび上がります。間違いなく城でしょう。
こうしてみると、崩れかかっているものの帯曲輪が巻いている縄張です。
東西50mほどの細長い主郭の西端は、段曲輪のようです。
全体に遺構は曖昧で、いざ縄張図のような形あるものにしようとしたら、自然地形との見極めがやっかいなことでしょう。しかし、バチっとくる部分も多くこれは妄想しがいのある山城でした。
「愛知県中世城館跡調査報告2西三河」には高田徹さんの縄張図が掲載されていますが、この縄張図以上に遺構と感じられる城域があります。
例えば出曲輪のように感じられた北西の削平地、いかがでしょうか。
また、この位置から見るといい山城に見えます。
東端から下山しました。尾根道を進みながら、その時、U字谷になっているここの概略地形がよくわかりました。歴史的な詳細は不明ですが、ここを本城とする勢力があったように想像されます。いい地形ですね。
降り易すそうに見えたので、このU字谷奥に降りましたが、これは失敗。藪の中へ降りることになってしまい、危険です。
気を抜き勝ちですが、下山って危ないものです。藪漕ぎで登るのはまだ大丈夫でしょうが、藪へ降りるというのは足元がよく見えず滑落の危険と隣り合わせ。と言って一旦降りはじめてしまうと戻る気にはなれず、どんどん深みにはまっていきます。藪の下には、水が湧き出ているところもあり、苦労しました。
なんとか切り抜けました。
谷を抜け林道まで出るとほっとします。
県道に近づく頃、遠くに大洞城の頂が見えました。
マイナーな比高の高い山城が未訪で残っています。こういう城もぼちぼちと攻城したいと思い、今年の城はじめに行ってきました。
山間地となるとヤフー地図もグーグルマップも等高線が描かれてない場合が多く、位置の特定が難しいです。でも、実際は峰ひとつ間違ってもたどり着けないばかりか、山で遭難の恐れもあります。
国土地理院の等高線のある地図で示すとここです。標高346mの頂です。
車は県道33号線の余白地に停め、頂が見えませんが、山のふもとに向かっている林道から進みます。実栗線と書かれた道です。
しばらく進むと前方に頂がみえます。比高190mというので、かなりの高山です。
舗装された林道がつきると、山道に入り、すぐに道も消えてしまいます。
U字型の谷のような地形に入ります。左手の高い尾根の上に城はあります。まっすぐ進むと、藪は深まります。右手の尾根の方が低く、こちらに上がってぐるっと回り込むというのが遠回りだけど、安全そうな経路に思えます。
結果的に言えば、そう思うのですが、その時は断定しきれず城に近づこうとして、登りやすそうな斜面を見計らい、左の峰目掛けて直登しました。登れない斜面ではありませんが、かなり距離があるというか、高いのでしんどいです。
途中には巨石も見えます。
登り切ると石飛城です。
人工的な削平地で、ああこれは!と思う瞬間は嬉しいですね。おどろおどろしい山が急に親しみのあるものに感じます。
その後訪れた近くの遺構が良好に残る円山城でも土塁が見られませんでしたから、もともと土塁は無いのでしょう。
東端に行くと、空堀らしき遺構があり、先に曲輪があります。
東端から見ると、切岸状に主郭が浮かび上がります。間違いなく城でしょう。
こうしてみると、崩れかかっているものの帯曲輪が巻いている縄張です。
東西50mほどの細長い主郭の西端は、段曲輪のようです。
全体に遺構は曖昧で、いざ縄張図のような形あるものにしようとしたら、自然地形との見極めがやっかいなことでしょう。しかし、バチっとくる部分も多くこれは妄想しがいのある山城でした。
「愛知県中世城館跡調査報告2西三河」には高田徹さんの縄張図が掲載されていますが、この縄張図以上に遺構と感じられる城域があります。
例えば出曲輪のように感じられた北西の削平地、いかがでしょうか。
また、この位置から見るといい山城に見えます。
東端から下山しました。尾根道を進みながら、その時、U字谷になっているここの概略地形がよくわかりました。歴史的な詳細は不明ですが、ここを本城とする勢力があったように想像されます。いい地形ですね。
降り易すそうに見えたので、このU字谷奥に降りましたが、これは失敗。藪の中へ降りることになってしまい、危険です。
気を抜き勝ちですが、下山って危ないものです。藪漕ぎで登るのはまだ大丈夫でしょうが、藪へ降りるというのは足元がよく見えず滑落の危険と隣り合わせ。と言って一旦降りはじめてしまうと戻る気にはなれず、どんどん深みにはまっていきます。藪の下には、水が湧き出ているところもあり、苦労しました。
なんとか切り抜けました。
谷を抜け林道まで出るとほっとします。
県道に近づく頃、遠くに大洞城の頂が見えました。
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