1176浦佐城(新潟県) [城印象記]
新潟県南魚沼市浦佐の浦佐城を紹介します。
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駅から近いところではありますが、城下になる県道71号線は車も少なく余白地に駐車できそうなところです。登城口があり、案内板があります。訪れた時は赤いのぼりがあり、すぐわかる状態でした。
対北条氏を意識した上杉氏の守りの城であることが記されています。
南魚沼市指定文化財
浦佐城跡(浦沢城址)
昭和56年3月30日指定
浦佐城跡は薬師山(標高約300メートル)に築かれた中世の山城跡で、山麓を通る三国街道を迎え、魚野川の舟運を監視する要地に所在する。天正6年(1578年)3月に上杉謙信が急死すると、二人の養子、上杉景勝(坂戸城主長尾政景の子で、謙信の甥)と上杉景虎(小田原北条氏康の子)が後継者の座を争い、越後国を二分する戦乱が勃発した(御館の乱)。同年9月、北条軍が景虎に加勢するため関東から侵攻し、浦佐城を含む南魚沼の諸城を攻略した。翌年、雪消え近い2月、景勝は北条軍の再攻撃に備え、清水藤左衛門に浦佐城の守備を固めるように命じている。
薬師山の尾根は東に細長く延び、両側は深い谷となって急崖をなしている。山上は大きく三段に削平され、4つの郭が築かれている。下段に位置する第4郭は丘陵先端部直下の南側山腹ににあり、8メートル下には幅1メートルほどの溝が帯状に巡っている。中段の第3郭は第4郭の直上、尾根の先端部にあり、北側は細長く小高い小丘状を呈する。上段の第1郭と第2郭は、第3郭の背後に13メートルの比高差をもって連続する。第1郭は長さ90メートル、幅18メートルの最大の郭で、第2郭との間は幅10メートル、深さ6メートルの堀切によって断ち切られている。第1郭から20メートル下の南側山腹には、この堀切と第4郭を結ぶ幅6メートルの帯郭が設けられている。第2郭の背後(西側)は幅20メートル、深さ10メートルの大きな二重の堀切によって尾根が断ち切られており、背後の防御を非常に堅固なものにしている。山上の城郭は全長260メートルに及ぶ。
所要時間 約20分(片道)
比高差 約160m(登り口~山上)
平成21年3月 南魚沼市教育委員会
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縄張がわかる立体図がありました。
道は整備されていて登りやすいのですが、さすがにこの季節ですので、草がのびていました。
こちらは図でいうところの第4郭です。
帯郭を伝うような恰好で第1郭と第2郭の間の堀切へ登ります。
そして第2郭から振り返ったところです。よく掘り切られた様子がわかるかと思います。
第2郭です。草生していますが、通路が示されています。
第1郭と示された場所よりも高所で、私的には主郭と言っていいようにも感じました。
そして、その奥にある二重堀切です。堀は深く、案内によると「幅20メートル、深さ10メートル」と言うのですから立派なものです。これほど草があるというのに、くっきり写っています。
間を細い土橋が通っています。細いうえに、高低差もあるので、草枯れて全部がスッキリ見えると、歩くのが怖いくらいかもしれません。
そしてまた、反対から振り返ったところの景色が圧巻でした。
浦佐城は眺望のよい城でした。田んぼの中を走る上越新幹線。その向こうには、六万騎城が見えます。尾根の先端です。
また隣の尾根筋にも削平地が見えていて、上山城というお城があります。
戻るようにして第1郭に着きました。ここが第1郭というのも、よく削平されていて、周囲も作りこんだ形跡がうかがえるからでしょうか。ともかく、城の中心に位置することだけは確かです。
自然地形も生かした堀なども細かく見られました。
下って第3郭です。この先端には薬師様を祀った祠があります。
草生していましたが、奥の二重堀切をはじめ遺構も充分楽しめる山城でした。
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駅から近いところではありますが、城下になる県道71号線は車も少なく余白地に駐車できそうなところです。登城口があり、案内板があります。訪れた時は赤いのぼりがあり、すぐわかる状態でした。
対北条氏を意識した上杉氏の守りの城であることが記されています。
南魚沼市指定文化財
浦佐城跡(浦沢城址)
昭和56年3月30日指定
浦佐城跡は薬師山(標高約300メートル)に築かれた中世の山城跡で、山麓を通る三国街道を迎え、魚野川の舟運を監視する要地に所在する。天正6年(1578年)3月に上杉謙信が急死すると、二人の養子、上杉景勝(坂戸城主長尾政景の子で、謙信の甥)と上杉景虎(小田原北条氏康の子)が後継者の座を争い、越後国を二分する戦乱が勃発した(御館の乱)。同年9月、北条軍が景虎に加勢するため関東から侵攻し、浦佐城を含む南魚沼の諸城を攻略した。翌年、雪消え近い2月、景勝は北条軍の再攻撃に備え、清水藤左衛門に浦佐城の守備を固めるように命じている。
薬師山の尾根は東に細長く延び、両側は深い谷となって急崖をなしている。山上は大きく三段に削平され、4つの郭が築かれている。下段に位置する第4郭は丘陵先端部直下の南側山腹ににあり、8メートル下には幅1メートルほどの溝が帯状に巡っている。中段の第3郭は第4郭の直上、尾根の先端部にあり、北側は細長く小高い小丘状を呈する。上段の第1郭と第2郭は、第3郭の背後に13メートルの比高差をもって連続する。第1郭は長さ90メートル、幅18メートルの最大の郭で、第2郭との間は幅10メートル、深さ6メートルの堀切によって断ち切られている。第1郭から20メートル下の南側山腹には、この堀切と第4郭を結ぶ幅6メートルの帯郭が設けられている。第2郭の背後(西側)は幅20メートル、深さ10メートルの大きな二重の堀切によって尾根が断ち切られており、背後の防御を非常に堅固なものにしている。山上の城郭は全長260メートルに及ぶ。
所要時間 約20分(片道)
比高差 約160m(登り口~山上)
平成21年3月 南魚沼市教育委員会
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縄張がわかる立体図がありました。
道は整備されていて登りやすいのですが、さすがにこの季節ですので、草がのびていました。
こちらは図でいうところの第4郭です。
帯郭を伝うような恰好で第1郭と第2郭の間の堀切へ登ります。
そして第2郭から振り返ったところです。よく掘り切られた様子がわかるかと思います。
第2郭です。草生していますが、通路が示されています。
第1郭と示された場所よりも高所で、私的には主郭と言っていいようにも感じました。
そして、その奥にある二重堀切です。堀は深く、案内によると「幅20メートル、深さ10メートル」と言うのですから立派なものです。これほど草があるというのに、くっきり写っています。
間を細い土橋が通っています。細いうえに、高低差もあるので、草枯れて全部がスッキリ見えると、歩くのが怖いくらいかもしれません。
そしてまた、反対から振り返ったところの景色が圧巻でした。
浦佐城は眺望のよい城でした。田んぼの中を走る上越新幹線。その向こうには、六万騎城が見えます。尾根の先端です。
また隣の尾根筋にも削平地が見えていて、上山城というお城があります。
戻るようにして第1郭に着きました。ここが第1郭というのも、よく削平されていて、周囲も作りこんだ形跡がうかがえるからでしょうか。ともかく、城の中心に位置することだけは確かです。
自然地形も生かした堀なども細かく見られました。
下って第3郭です。この先端には薬師様を祀った祠があります。
草生していましたが、奥の二重堀切をはじめ遺構も充分楽しめる山城でした。
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