1408井伊氏居館(静岡県) [城印象記]
静岡県浜松市北区引佐町の井伊氏居館を紹介します。
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引佐町第四区公民館前に井伊氏居館跡の案内板があります。
(ここにマッピングしました。)
井伊氏の居館跡がこの地に想定されています。井伊氏の本拠は、平時を過ごした居館と北西に位置する井伊谷城で構成されていたと考えられます。
天保15年(1844)、近隣の二宮神社神主中井直恕が現した『礎石伝』には、当時の居館の様子が描かれています。居館の周囲には、方形に土塁や堀を巡らすなど他にも多くの遺構が見られたことが伺えます。しかし、現在では宅地化が進み、南西隅に堀の跡が水路として残るのみとなっています。
嘉永6年(1852)6月、井伊直弼公(彦根藩15代藩主)が居館跡を訪れた際に井伊大明神を詣で、近隣の史跡を巡覧し、居館跡の一角に残る「井殿の塚」の玉垣を寄進されたと伝えられています。
平成29年3月北区まちづくり推進課
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井伊家屋敷想像図などもあります。
そして、井伊氏居館の図です。
この図からこの公民館は屋敷の南の外であることがわかります。
北を見ます。見上げた先には井伊谷城が見えます。
そして、水路があります。これが、なんと居館の堀跡なんですね。少し曲がったところは絵図通り。これが堀の名残になるのかと見入ってしまいました。
あとは宅地化されて、屋敷跡を感じさせるものはないのですが、水路は曲がって北へと延びています。確かに居館を囲む堀ですね。
また、井伊氏居館の北西角には、井殿の塚があります。井伊直政の祖父、井伊直満とその弟直義を祀った塚です。今川氏に疑いをかけられ殺されたことは、大河でもやっていた通りで、涙を誘うエピソードです。
塚にはタブノキが大きく茂っています。
井伊直弼が寄進した玉垣も見えます。
しっかりした案内板があり、「おんな城主直虎」を思い出しながらの井伊の郷の史蹟散策は楽しかったです。
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引佐町第四区公民館前に井伊氏居館跡の案内板があります。
(ここにマッピングしました。)
井伊氏の居館跡がこの地に想定されています。井伊氏の本拠は、平時を過ごした居館と北西に位置する井伊谷城で構成されていたと考えられます。
天保15年(1844)、近隣の二宮神社神主中井直恕が現した『礎石伝』には、当時の居館の様子が描かれています。居館の周囲には、方形に土塁や堀を巡らすなど他にも多くの遺構が見られたことが伺えます。しかし、現在では宅地化が進み、南西隅に堀の跡が水路として残るのみとなっています。
嘉永6年(1852)6月、井伊直弼公(彦根藩15代藩主)が居館跡を訪れた際に井伊大明神を詣で、近隣の史跡を巡覧し、居館跡の一角に残る「井殿の塚」の玉垣を寄進されたと伝えられています。
平成29年3月北区まちづくり推進課
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井伊家屋敷想像図などもあります。
そして、井伊氏居館の図です。
この図からこの公民館は屋敷の南の外であることがわかります。
北を見ます。見上げた先には井伊谷城が見えます。
そして、水路があります。これが、なんと居館の堀跡なんですね。少し曲がったところは絵図通り。これが堀の名残になるのかと見入ってしまいました。
あとは宅地化されて、屋敷跡を感じさせるものはないのですが、水路は曲がって北へと延びています。確かに居館を囲む堀ですね。
また、井伊氏居館の北西角には、井殿の塚があります。井伊直政の祖父、井伊直満とその弟直義を祀った塚です。今川氏に疑いをかけられ殺されたことは、大河でもやっていた通りで、涙を誘うエピソードです。
塚にはタブノキが大きく茂っています。
井伊直弼が寄進した玉垣も見えます。
しっかりした案内板があり、「おんな城主直虎」を思い出しながらの井伊の郷の史蹟散策は楽しかったです。
2018-02-17 05:00
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コメント(2)
「おんな城主直虎」が終わって2か月。
ずいぶん前のような気がします。
おかげで浜松も少しにぎやかになりました。
by ハマコウ (2018-02-17 17:05)
楽しみに見てました。ドラマ面白かったです。
浜松は城が充実していて、いいところですね。
by くうくう (2018-02-19 22:21)