0283刈谷城(愛知県) [城印象記]
愛知県刈谷市城町の刈谷城を紹介します。
土曜日に発掘の現説があり参加してきました。その折に、本丸や周辺も歩いてきました。
亀城公園となった本丸の隅に碑があります。
本丸は東西50m×南北80mのほぼ長方形だったそうです。
その北西に隅櫓がありました。戌亥櫓、三層の櫓だったようで、天守の役割に近いイメージだったのでしょうか。今はその位置に十朋亭があります。士族会員の会合場所として大正に建てられました。
当時、こうした建物が建てられたのもそれなりに意義があったのでしょう。
そして本丸の周囲は、土塁で囲まれています。
改変著しい刈谷城ではありますが、公園の散歩をしながら、雰囲気は充分味わえます。
周辺に水堀が残っています。
平山城というべく形状は見てとれます。
刈谷城の碑は、城町の交差点の角にあります。
その信号を渡り東へ進むと郷土資料館があり、三の丸の碑もあります。
更に進むと刈谷幼稚園の斜め向かい、亀城小学校の隅に大手門碑も見られます。
大手門も残っていません。
早くに変貌してしまった刈谷城は何も残ってない城ではありますが、至る所に痕跡を見つけることができます。それだけ、城下町として刈谷は親しまれてきたということでしょうか。
ゆったり気分で歩くと、見えてくる面白さがあると思います。
土曜日に発掘の現説があり参加してきました。その折に、本丸や周辺も歩いてきました。
亀城公園となった本丸の隅に碑があります。
本丸は東西50m×南北80mのほぼ長方形だったそうです。
その北西に隅櫓がありました。戌亥櫓、三層の櫓だったようで、天守の役割に近いイメージだったのでしょうか。今はその位置に十朋亭があります。士族会員の会合場所として大正に建てられました。
当時、こうした建物が建てられたのもそれなりに意義があったのでしょう。
そして本丸の周囲は、土塁で囲まれています。
改変著しい刈谷城ではありますが、公園の散歩をしながら、雰囲気は充分味わえます。
周辺に水堀が残っています。
平山城というべく形状は見てとれます。
刈谷城の碑は、城町の交差点の角にあります。
その信号を渡り東へ進むと郷土資料館があり、三の丸の碑もあります。
更に進むと刈谷幼稚園の斜め向かい、亀城小学校の隅に大手門碑も見られます。
大手門も残っていません。
早くに変貌してしまった刈谷城は何も残ってない城ではありますが、至る所に痕跡を見つけることができます。それだけ、城下町として刈谷は親しまれてきたということでしょうか。
ゆったり気分で歩くと、見えてくる面白さがあると思います。
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